日本の宗教団体による武力戦争について調べてもほとんど記録を見つけることができないという難しさがあります。たとえば一揆というと農民による反乱という学校教育を受けた印象が強く、宗教戦争だったという印象が薄くないですか?刀狩りも農民から武器を奪ったと書いてある資料が多いのですが本当は宗教団体からの武器回収という色合いが強かったようで、回収した武器で秀吉は大仏殿を造っている所からも連想できます。この刀狩りという政策、アメリカやイスラム世界にも見習ってほしいですね。日本でも銃犯罪はありますが、今でも他の国より圧倒的に少ないのです。今の日本で宗教は非武装であり、政治とは無関係(もちろん一部政党には宗教色が残っていますが)という事が常識になっています。
世界で無くなることのない宗教戦争を見ていればわかりますが、宗教戦争の問題は檀家の女性や子供たちまでが「神の命令の下」に軍隊となることです。ここが歴史の難しいところで、信長は学校の歴史で「女子供も殺した」となるわけです。確かに事実として間違いはないのですが、少々情報が不正確です。今のイスラムの自爆テロを見れば自明で、女性や子供も立派な軍隊です。殺戮は正当化されるべきではありませんが、江戸時代以降の戦争のない平和な世の中を作るために彼ら戦国武将が貢献したことも間違いないのです。事実、当時の市民にすごく人気があったのですから(家康を除く)。
信長、秀吉、そして徳川家の宗教「コントロール」は軍事的な殺戮ばかりが目立っていますが、対策の大部分は政策によるもので軍事行動はその補足でした(正しい補足とはいいません)。彼らはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教がいまだに解決できない「聖戦」と呼ばれる大量虐殺を排除したのです。これは彼ら3世代の総合的な成果ですが、大量虐殺もあったので簡単に評価することはできません。しかし少なくとも秀吉のすばらしかったところは宗教団体だけではなく、農民、軍人からも武器を取り上げたところです。彼の政策は実に平等なのです。武士や商人が帯刀を「再開」したのは江戸時代からです。
秀吉の驚くほど短い政治は日本の歴史の中で見ても、いえ世界の歴史の中でも誇ることができる手腕です。今の世界の政治家に見習っていただきたい部分はたくさんあります。なお秀吉の「唐いり」については第二次世界大戦と同じく私にとっては荷が重すぎる課題なので触れません。