唐招提寺の金堂が工事中であることは関西ではよく知られています。ニュースなどでよく流れますからね。今回私もついでだから立ち寄った、写真撮影のために来ただけで工事中であることは知っていました。このお寺に来たのは3回目、ただし前回は20年ほども前のことです。唐招提寺ができて平城京が長岡京に遷都するまでが25年、そう考えると20年という月日は長いのですが、その後、唐招提寺は何と1250年もここに建っているのです。
弥生時代まで日本は豊かで平和な国でした。食物が豊かでそのために戦闘を必要とせず、契約、法、宗教などを文書化しなくてよい本当の意味で平和な社会でしたので仏教という宗教が流入するまでの文書が残っていません。そのため日本の歴史はまるで奈良時代に急に発祥したような印象を受けますが、魏志倭人伝や神話、そして古墳などを見ると弥生時代はいま私たちが知っているよりもはるかに文明が栄えていたと想像ができます。
特に建造物や仏像を作る技術は奈良時代には完熟のレベルに到達しています。今の技術をもってしても奈良の大仏や大仏殿、そして実に写実的な鑑真の像などを作ることは簡単ではありません。中国に学んだことは多かったと思いますが、奈良時代は仏教と漢字を取り入れたことによる「中国ブーム」であり、日本の土木建築技術はすでに弥生時代から高いレベルにあったのではないでしょうか。逆に汚され「技」を失った部分さえありそうです。出雲大社の話を信じれば有史以前に高い建築技術を持っていたことになります。
そう、日本はそんな昔から技術大国だったのです。