日本人は世界的に見ても英語を苦手とする人種です。しかし英語に限りません。昔から日本は独特の日本語という文化を持っているため、その文法の特殊性から他の言語を学ぶことが難しく感じるのではないでしょうか。その割に海外の文化が好きで、カタカナを用いた日本語英語という技術で単語としては多くの英語を独特の発音で取り込んでいます。
奈良時代に同じ事が起こったような気がしています。仏教と共に伝来した漢字、しかし日本人は言語としては日本語を使い続けました。漢字は輸入しましたが中国語は使わず日本語はほろびませんでした。「中国に屈しなかった」という日本文化を賛美する表現を歴史でよく聞きます。本当でしょうか。私は単についていけなかった、中国語が身につかなかった、つまり現在の英語と同じような存在だったのではないかと感じています。中国語という高度技術を取り込まなかったのではなく、取り込めなかった…。だからカタカナのように漢字だけ取り込んだ。
歴史の早い段階で万葉仮名が生まれます。これは今のカタカナ表記と同じく、音に漢字を当てはめる当て字です。訓読みと呼びます。これは発明ではなく必然だったように感じています。そして平安時代になるとひらがなが開発されていよいよ中国語、漢文をあきらめてしまうのです。英語に苦しむ今の私たちに似ていないでしょうか。
日本語の革新的なカナ表記も今や苔むした技術であり、当たり前のように感じていますが言葉に苦しんできた日本人の革新的発明なのかもしれません。