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カテゴリ:奈良
大極殿といえば天皇の住処です。その跡地にレプリカとはいえ、新しい建造物を作ってしまうことに日本の歴史を壊す行為を心配したのは私だけではないはずです。建築者の言い訳として「第二大極殿のほうが遺跡としてしっかり残っていたため」、第一大極殿にレプリカを作ったと言うかもしれません。でも本当にそれだけでしょうか。 二つある…というと伊勢神宮。式年還宮、20年毎に本殿を建て替える行事ですが、似ていますね。伊勢神宮は天皇家の宮で有史以前から続きますが、還宮がはじまったのは690年だそうです。平城遷都に近いですね。伊勢神宮をまねたのでしょうか…私はそう思っていません。 長くなりますから抜ける人はここで…写真も大した事はないし(笑) 天皇家には歴史に残せない伝承があるはずです。天皇家のプライベート情報なので秘密のままで構いません。ただ個人的な想像として奈良時代の天皇家には陰謀が渦巻き、クーデターが何度も起きていました。「一つ目の大極殿には住めない」という明確な理由が存在し、二つ目の大極殿を建造したと仮定すればどうでしょう。理由は宮内庁であればだれでも知っている事かもしれず、第一大極殿の上をレプリカで「封印した」のかも…冗談ですよ。勝手な考察遊びです。さらに言えば逆かもしれません。天皇家は第二大極殿から逃げるように遷都しています。この度、第一大極殿を豪華に修復することで「こちらが正当な大極殿」と言いたかったかもしれませ。いえ、なにも理由など無かったかもしれません(笑) とにかく歩く距離が長いせいか、二つ目の大極殿に向かう人は観光客の1割程度…。私の場合、次の目的地に向かうために朱雀門まで戻るより大極殿側に抜けたいと道を探していたらたどり着いただけです(笑)第二大極殿、殺風景なコンクリートの台があるだけ、目の前には広く開ける原野があって、ここが奈良市の中心部?と疑いたくなるほどでした。遺跡だから残しているのか、住む人や工場を誘致する人がいないのか。それともやはり祟りが…これ以上長くなるわけには…(笑) さあ奈良まで来ているのですからもう一箇所尋ねてみます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 27, 2011 08:11:54 AM
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