秋篠寺は落ち着いたお寺で、境内は木々に覆われているために涼しく強い湿気があり、庭は苔むしています。苔は簡単に生える植物ではありません。庭が造られた時、このお寺では8世紀なのですが、苔は当然生えていません。木々を植えただけで土の庭だったはずです。木々が影を作って苔が美しく生えそろうまでに百年を超える月日が必要です。しかも庭の中を人が歩かない…つまり寂れて予想外に苔むしたのか、最初から「100年後に苔をはやす景観を設計した」のかどちらかとなります。
秋篠寺は古いお寺です。苔をはやした将来の姿を想定した設計が行なわれていたかどうかはわかりません。京都のお寺は数百年後の将来を見越した庭園の設計、仏教的時間の流れ、つまり人間の寿命には影響されない時間感覚で設計されているとしか思えないお寺がいくつもあります。それは奈良の古い、例えばこの秋篠寺の苔むした庭園を見て感じた美しさを京都の大庭園を設計した庭師が参考にしたと考えてもおかしくありません。
君が代という明治に作られた日本の国家があります。その歌詞は天皇家の世の中(天皇をさすかどうかは議論があるようです)が永遠に(千代に、八千代に)続くようにと歌われています。その永遠を比喩するため、細石(小石)が巌(岩石)となって苔の生すまでと続きます。つまり苔はそれほどに簡単には「生さない」ことを意味しているのです。このような熟成に時間のかかる庭園が残っている日本はすばらしいと感じませんか。日本は何度も戦争をしてきました。災害もありました。それでも苦難を乗り越えてこんな美しい庭園を残してきた国民なんです。
これからも苔の生すような平和な日本がいつまでも続くことを祈って。