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坂ノ下田村麻呂のブログ

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2006.12.16
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カテゴリ:SLに関すること
名寄本線の96型重連貨物
名寄本線天北峠に挑む96型重連機関車

SLの魅力に取り付かれてSLには雪景色が良く似合うと思い、SLを求めて冬の北海道
には度々行く事になりました。旅費とフィルム代を稼ぐ為にアルバイトをして、国鉄の
周遊券を学割で利用して、主に12月~3月の期間に出かけていました。

今まで面会した事の無い名寄本線の96型蒸気機関車の姿を求めて、初めて厳寒期の
北海道の名寄本線に収録に行った時の事でした。それは、想像以上の極寒の体験でした。

昭和47年 1月 1日に遠軽より、名寄本線(名寄行き)の一番列車で上興部まで行き、
天北峠越えの9600型重連牽き貨物列車を撮影に行った時のことである。
防寒装備でアイゼン装着の登山靴で、上興部駅から峠に向って線路上を約1時間ほど
歩いた地点で撮影準備に入ったのである。駅を出た際に見た寒暖計は氷点下25度を
示していたので撮影には細心の注意が必要である事は覚悟していたが、まさかこれ程の
凄まじさだとは思いも寄らなかったのである。  と言うのは、想定外の出来事で、
カメラのフィルム巻上げはゆっくりとしないと破断することは、話には聞いていたが、
まさか録音機・8ミリカメラのバッテリーが全く反応せず、
重い思いをして担いでいた甲斐もなく、録音もできず・8ミリカメラでの撮影もできない
状態で、また、うっかりズームレンズを雪中に落としてしまったためズームレンズも
凍りつき使用できず、止むを得ず標準レンズでの撮影のみと成ってしまった訳で、
その時の貴重な写真・思い出深い写真が表示してある写真である。
ただ、不幸中の幸いな事が、画面左脇には牧場の柵があったのであるが、
右手からの寒風により蒸気・煙が牧場の柵を隠してくれて、ご覧のような雪原の風景
となった事である。氷点下20度以下の体験は、この時が初めてで、以後の寒中撮影
の貴重な教訓を得たのである。しかし、今考えても恐ろしい厳寒の世界であった!

日本の戦後復興期の、日本経済発展の支えとしてのエネルギー源として北海道の石炭輸送や、
北海道開発の目的で張り巡らされていた鉄道網も、今や幹線のみが残され支線は廃止されて
しまった。SL終焉期に訪れた北海道の各路線の殆どが廃止され、過疎化が進んでいる。
名寄本線も廃止され私が訪れた上興部駅も地名と鉄路跡地が残っているのであろう!
思い出の地の現状を考えると、虚しさを強く感じるのである。

天北峠を越える96型機関車名寄本線天北峠を越える96型貨物列車





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最終更新日  2006.12.16 14:38:31
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