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ぐうたらたぬき途中下車

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January 27, 2013
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大石良雄遊興之地 撞木町

「大石良雄遊興之地 よろづや」の碑
京都市伏見区撞木町(しゅもくまち)
京阪本線墨染駅より徒歩6分

大石良雄とは、忠臣蔵で知られた、赤穂義士の大石内蔵助のことです。

元禄14年(1701年)、江戸城中で刃傷におよび切腹を命じられた主君の仇打ちは有名ですが、筆頭家老だった大石良雄は、事件後しばらく山科に閉居し、遊興にふけります。仇打ちの計略が知れぬよう、世間の目を欺くためとも言われています。

大石良雄が遊興のために通ったのが、この地にあった「よろづや(萬屋)」です。

「笹屋」に通ったという話もありますが、「萬屋」のオーナーの名が笹屋だという説もありました。また、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」では「一力茶屋」という名前が出てきますが、「一」+「力」で「万」、つまり「萬屋」のことだとか。なんとなく納得してしまいました。


撞木町

一画には、「撞木町廓入口」と書かれた石柱が立っています。

撞木町はかつて江戸時代に栄えた遊郭で、昭和33年(1958年)まで存続していたそうです。「撞木」とはT字型の仏具で、町の形がT字になっていたことから付いた名前です。

今は静かな住宅街で、当時の面影を見ることはできませんでした。


撞木町

民家の前に建てられた石碑には、大正7年の日付とともに、撞木町の盛衰が記されています。

赤穂義士の仇打ち本懐に絡めて、「当遊郭に於て謀議する時は何事も成就すべしとて来遊する人々多し」と書かれていました。

これって、遊郭に遊びに来る言い訳ですよね。

 

 






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Last updated  January 27, 2013 11:51:11 PM
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