|
カテゴリ:【俺の考え】に関わる単語
今回の旅の友である【宗教】は、公の場で語るべきものではないと云われている。サラリーマンで、しかも営業職ならば“野球”“政治”【宗教】の三大嗜好についての話題を挙げるのは先輩から厳禁と教わったりもする。即ち“タブー”な御題目なのであるが、そんな事は知ったこっちゃない。別に俺の意見を強要するワケでもなく、ただ私感を述べるだけなのであるから。
【宗教】に対する俺のスタンスと云えば“神・仏は存在して欲しいと願う・無宗教派”なんであるが、どちらかと云えば“無神論派”にかなり近かったりもする。 そんな俺でも、“神・仏は存在して欲しいと願う”のは本当だったりもするから、人間の考えはアサハカで勝手なものだと思ったりもする。 ではナゼ“神・仏は存在して欲しいと願う”のか。それは唯一つ「戦争を無くしたい」と思うからなんである。 戦争で得する人間は戦場には行かない。 戦争で損する人間は戦場に居る。 これほど馬鹿らしい事はないと思うのだ。 そんなに戦争がしたければ、その代表同士がタイマンで勝負したらよい。何も庶民に思想を植え付けて、自分の代理として殺し合いをさせなくとも。 でも、この思想が無意味になってしまう戦争も世の中には在る。と云うよりも、こっちの方が多いから困ったものなのだが、その戦争とは“宗教戦争”なんである。 信仰は自由であるべきだと思う。それはトアル人間にとっては唯一の救いにもなるだろうし、楽園にもなるからだ。 でも、その思想を他人に押し付けたり、相手の思想を侮辱したりするから“宗教戦争”が始まってしまうのだ。 だからこそ“神・仏は存在して欲しいと願う”のだ。 どっちの“神仏”も偉いはずである。その偉い“神仏”のために、そのシモベである人間同士が殺し合いをするのは心痛い事だと思うのだ。 だから“神仏”同士で話し合いなりタイマンなりで決着をつけて頂きたいのだ。 基本的に罪人ではない人を殺めるのが徳を積むことになる宗教ってのは少ないハズだ。だからこそ“神・仏は存在して欲しいと願う”のだ。 どうか神様仏様、宜しくお願い致します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/05/16 11:27:07 AM
[【俺の考え】に関わる単語] カテゴリの最新記事
|