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カテゴリ:スーパーカブ
フィッツジェラルド「ある夜、仕事から家に帰るとき、道路に誰もいなかった。誰ひとり。それでも赤信号で、止まって、ずっと待っていた。そして、他にクルマがいないのに、座って、従っていた。その瞬間、これはテクノロジーや機械の問題じゃなくて、自分達は支配されてるんだ。そのせいで、心がもう自由じゃなくなっていると気づいた」
カジンスキー「でも、自由になりたかった」 フィッツジェラルド「そうだ」 カジンスキー「人間の尊厳と自立性を欲した」 フィッツジェラルド「ああ」 カジンスキー「みんなそうですよ。みんなそれを切望して、そのために、何千人もが自殺しているんです」 フィッツジェラルド「それで?」 カジンスキー「考えてみて。この会話の間にも、わたしが殺したとされる人数以上の人が自殺している。抗鬱剤や整形、ファストフードでも大勢死んでいる。なのに、なぜわたしをそんなに恐れる必要がある。ご自分に問うてみてください。そこで監視している男性達が、なぜわたしを狂人にしたがる。なぜなら、わたしが正しいとわかっているから。わたしは目覚めている。彼らは眠っている」 マンハント:謎の連続爆弾魔ユナボマー第2話 さて前回は、おれはこいつの、 顔なんか、明日になったら憶えてねーよ、という話でございました。しかしああは書いたけれど、案外忘れられない顔だな。とにかく、このなんとかから《NHKのアナウンサー》という肩書きを取ったら後に何ひとつ残らないのに変わりはない。 この男は人間じゃなくエネーチケーという組織の部品で、栗山千明と違ってどうにでも取り換えが利く。『ダークサイドミステリー』の次の回で別の人間に替わっていても誰も気づかぬしそもそもおれは栗山千明が、 「ではここで専門家の方の話を聞いてみましょう」 と言ったところでリモコンを手に取り、毎度早送りしてたのだから、三人の駄弁り男のうちのひとりがNHKのアナウンサーということすら番組を見ても知らずにいた。 「出掛ける時は忘れずに」 なんて言ったCMが昭和の昔の頃にあった。私は女優の栗山千明。しかし家を一歩出たら、誰も私を知りません。だからクレジットカードが大事。人間の価値はクレジットカードと、その色だけで決まるのです。 というようなCMがあった。今、地球人類は、コロナによってひとり残らず死ぬ運命にあるという。あるけど、しかし誰かによって、防がれるはずであるという。この危機から世を救うのは、たぶん、 こんなのとか、こんなのとか、 いった感じのおっさんだろうと言われている。肩書きは立派なんだが誰も知らない。テレビでペラペラとしゃべっても顔と名前を誰も憶えることができない。 そしてそれは世が救われたのちもそうであり、えーとなんとかいう人のおかげでみんな助かったらしいけど、なんて人が何をやったおかげで助かったんだっけ。さあ、知らないけど、もうマスクを着けなくてもよくなってホント助かったよね。 ということになるらしい。けれど同じ頃、大学や厚労省では学者という学者がみんな、オレだオレだ、オレが○月○日にテレビで話したおかげで〈波〉が防がれたんだ。何を言うかワタシだワタシだ、ワタシが×月×日にテレビで話したおかげで〈波〉が防がれた。いーやボクだねボクが△月△日にテレビで話したことによって〈波〉が止まったのに間違いない。 なんてケンケンガクガクやってる。コロナ自体はいつの間にか、グリ森事件の犯人達のようにどこかに忽然と消えたことになっており、あの〈禍〉は果たしてなんだったのかすべては謎に包まれているが、とにかく〈波〉が防がれたのはこのワタクシが□月□日にテレビで話した結果なのは絶対間違いないのだから、このワタクシが地球人類すべて救った者なんですよ。何を言うかそれはボクだ! ボクが☆月☆日にテレビで「手洗い励行」と言ったことで人々が手洗いするようになったのだから、全人類を救ったのはこのボクひとり以外になーい! という。一年後にはこういうことになっていたりするんじゃないかとおれは考えているわけだけど、そんなふうになるのもみんな、NHKのアナウンサー、アオなんとかみたいなやつが、 * 「福田さんは、この事件、どうご覧になりますかね、ここまで」 と言うのに対して、 * 「そもそもやはり、テロリズムっていうのは、政治的な目的を持った暴力行為のことを指すんですね。政治的目的がなければ他の大量殺者の一般犯罪となってしまう。そういう意味で、この事件がテロリズム的な政治性を持ってるかどうかってのはやはり見えてこない部分が多い。どうもこれは連続テロなんですけど、ひとつひとつの事件がですね、間隔が非常に長いっていうのが新しい特徴なんだろうと思います」 となんだか退屈なやつが、おれがこうして書き写しながら眠くなるようなことを言って、しかしこいつが『スター・ウォーズ』のヨーダであり、もうひとりの学者と合わせて『水戸黄門』の助さん格さんなのだ。で、 * 「確かに間隔が開いている。ただ数はどんどん爆弾が来るという。ちょっとこう、不思議な点が多いなという印象ですけれども」 と、こいつがおっさんの《考えるな。印象を持て》式の教えに素直に頷き印象だけでものを言うのを覚えてしまう。この男がNHKのアナウンサーであるがために『スター・ウォーズ』のルークであり水戸光圀公ということになる。〈コロナの禍〉から世を救ったのはこの自分だと錯覚することになり、クレジットカードは黒地に金の三つ葉葵だ。テレビになんか出ていても誰もこいつを知らないけれど、ホテルとか、どこぞの高級クラブに行ってそのカードを出せば、 「ははあ~」 とヒレ伏してもらえるという。だから自分がこの世でいちばん偉い人間になったと感じる。 前回書いたようにこの学者先生様は、 グリ森事件を社会不安型テロだと言った。政治的な目的を持った暴力行為なのであって、そうでない一般犯罪と違うってわけだ。自分の目にはそれがハッキリ見えるってわけだ。だがしかし、グリ森事件は政治的な事件だったか。 どうだろう。犯人達は、ただたんにカネを要求していただけだ。政治的目的がないなら一般犯罪のはずだ。それをしかし、たとえばこの、 この野郎とか、この野郎とか、 いったやつらが政治的な事件のように世に見せかけていたのじゃないのか。 「お前達は無意識のうちに誘拐事件に動機と背後関係と反権力の思想を求めている」 「お前達は勝手に犯人像をふくらませ、自ら霧の中に迷い込んだ」 と『踊る大捜査線』劇場版一作目で〈Teddy〉は言った。おっさんどもが揃ってみんな、不安を勝手に感じてこれは社会不安型テロだと言った。それが目的の政治犯だと。 それを聞いた平凡な社会学者がそれは自分が考えたことだということにして、 「ぼくは社会不安型テロっていうふうに言ってるんですけれども」 と言うとこのボクちゃんが、 * 「社会不安型テロ」 と、こんな顔して頷いて聞いて、またひとつ、フォースの力を獲得したルークのつもりになってしまう。 〈社会不安型テロ〉だとか、〈怨恨〉だとか、〈株価操作で何千万か稼ぐためにやったこと〉とか、はたまた、 〈北朝鮮工作員による『ウルトラセブン:狙われた街』的謀略説〉 とか、 〈被差別部落民による『ウルトラセブン:ノンマルトの使者』的奸計説〉 とか、 〈警察組織に不満を持つ人間が内部からの制度改革を目指して行ったクーデターで、一味のひとりは大阪府警捜査一課の刑事だったのだレディジョーカー!〉 だとかいった調子の話の果たしてどれかひとつでも、あの事件の不可解性を説明できていると思うか。 できてないなら、どれもが全部、陰謀論者の世迷い言と断ずべきでないのか。 それに対して、おれの、 〈プロレス説〉 ならば、不可解性の説明ができちゃってるんじゃないのかな、と思っているところなんだが、それはさておくとしてコロナである。今やもう、他に誰もいない道でも人はマスクを着けて歩く。マスクを着けて歩かないと〈波〉が来る、と言われるから、従うしかなくなっている。人は支配され、心の自由は失われた。 「そんなもん来ねえよ。来るわけがねえ。一体その《感染が拡大すると〈波〉が来る》ってのは、どういう科学的根拠のもとに言ってるんだ」 と本当に正しいことを言う人間がおれの他にいないから。おれはテレビでこれを言える立場にない。だからおれがいるこの環境で自分がやれることをするだけだけど、テレビの中で早口でまくしたてる者達がこれを知ったら間違いなくおれを狂人とするだろう。それはおれが正しいからだ。やつらの頭は眠っていて、自分だけが一等一億の宝くじに当たった者になる夢を見ている。 おれは目覚めている。《感染が拡大すると〈波〉が来る》という言葉にはなんの根拠もない。それがわかっている。考えてみろ。あなたがこれを読んでいるこの間にも、コロナが殺した人数以上の人が自殺しているのだ。コロナの肺炎で死んだのでなく、コロナについてテレビが語ることのために死を選ぶしかなくなる者だ。なのにどうしてコロナを恐れる。 アメリカは〈病める大国〉だから、抗鬱剤やなんやかんやでコロナで死ぬより多く死んでる。なのにどうしてコロナを恐れる。S・キングの『クージョ』だの『IT』についてちょっと書いたが、他に『ミザリー』というものでは、作中作「ミザリーの生還」第一章の文章として、 * (略)シャインボーンの診断によると、深夜の冷雨に搏たれて溝の中に横たわっていたのだから、肺炎になるおそれ充分であるという。しかし、すでにあれから三日、いまだに発熱も咳の発作もなかった。肺炎にはならないだろう、と彼は思っていた。(略) こんな文がある(文春文庫版199ページ)。同じ本の63ページには、 * 「アニー、一八七一年には、女の人が出産で死ぬことは珍しくなかったんですよ。(略)」 こんなセリフもある。さらにこのアニーというのは過去に何十人も人を殺している設定なのだが、手口のひとつに階段に物を置いて転落死さす、というものがあり、それが、 * (だれもその二件の転落死を結びつけて考えた者はいなかったのか。最初が父親で、次がルームメイトだ。おまえは本気でそう考えているのか?) そう、彼は本気で考えていた。二件の転落死はほぼ五年のあいだをおいて、ちがった土地で起こっている。それを報じたのも、それぞれべつの新聞だし、しかも階段から転落して首の骨を折る事故など、とくに珍しくもないにちがいない人口の多い土地のニュースなのだ。 (それに、あの女はじつに巧妙だった) こう記述される(文春文庫版288ページ)。日本に一億数千万。世界に何十億という人口があれば肺炎や階段からの転落で死ぬ人間が何百万もいるのは当たり前で毎年のことだ。多くない。それは全然多い数字なんかじゃない。出産で死ぬ女の数もゼロになったわけではない。貧しい国や階層では、今も大勢が死んでいる。数が例年と変わらないなら〈禍〉ではなく、別に巧妙な殺人鬼がそれをやってることにはならない。 だろう。しかしそんな簡単なことに気づく人間がいないため、まるでペストや天然痘が、感染力と致死性を遙かに増して帰ってきたかのように言い立てられ、〈波〉が来たときに全人類が死ぬかのように叫ばれる。 ただし、防げる者がいる。それは自分だ、自分だけだ、という言葉を添えて。テレビで話した俺様の顔と名前を誰ひとり、忘れることはないだろう。〈禍〉が終わったときに誰もが、俺を思い出すだろう。だって○○大学卒の××にして△△で、□□で☆☆な人間が、テレビで「手洗い励行」と言ったんだものな。そうだよな。 そのおかげでみんなが手洗いするようになり、多くの人命が救われたんだ。それに絶対間違いないから、誰もが俺を讃えることは間違いない。 というような錯覚をする人間の顔が、 これである。IQは知能を計る物差しだけど、人は愚かな生き物だから、知能が高くなるにつれてむしろ愚かさが増していく。ユナボマー事件の犯人、セオドア・カジンスキーの少年時代の顔は、 こうだった。まるっきり『デスノート』の夜神ライトだな。『罪と罰』のラスコーなんとかで、フォースのダークサイドに堕ちたルーク・スカイウォーカー。しかし、夜神ライトの場合は殺す相手が凶悪犯罪者だった。 だから結構、最初のうちは見ていて共感できなくもない。おれは原作は読んでいなくて見たのは映画とアニメ版だが。 しかしセオドア・カジンスキーは、むしろ『ミザリー』のアニー・ウィルクス。『スラン』の続きが前回の終わりと違うとか結末が気に食わないからと言って、作者のA・E・ヴァン・ヴォクトを殺しに行きかねない女だ。『スラン』という小説は、また巻末の〈訳者あとがき〉から引用すると、 * 『スラン』はアスタウンディング誌の40年9月号から、四回にわたって連載された。この長篇のアイデアにいたく感銘した編集長キャンベルは、これに「ノヴァ・ストーリー」の称号を与え、読者はスランの天才少年がたどる運命に、四ヵ月間一喜一憂した。当時の読者の熱狂ぶりは、同誌が毎号行なう人気投票はじまって以来の1.00という完全得票を獲得したことでもうかがわれる。つまり、投票した読者全員が『スラン』を一位に推したわけで、この記録をうちたてたのは、ほかにレスター・デル・レイの『神経線維』(42年)があるだけである。 とまあ、まさに『ミザリー』にして『デスノート』。しかしセオドア・カジンスキーは、若い頃には夜神ライトだったけれど、50を過ぎて捕まった時には、 こうなっていた。夜神ライトも50過ぎまでノートによる殺しを続けていたならば、きっとこうなるに違いない。高邁な目的なんか最初からなく、ただ目についた人間が気に食わなかっただけの理由で遠隔殺人を行っていた。自分はそれをしていい者、というラスコーなんとかな考えのもとに。 ちょっと共感できなくもない。おれだって似たところが少しはある。自転車に乗ってて前をスマホをいじくりながら横切るやつがいたら殺してやりたくなるよ。テクノロジーや機械の問題ではなくて、人間の尊厳と自立性の問題としてね。 そう感じるが、しかしもちろん決してやらんし、死神のノートをたとえ持ったとしてもやらないだろう。だがセオドア・カジンスキーは、何十回もやって正当化の文章を、日本の文庫本にして150ページにもなる長さで書き連ね、新聞社に送ってそれを掲載しろと迫った。 結果的に《You can't eat your cake and have it too.》という文のeatとhaveの順序が変なところをフィッツに見つけられ、それをもとに家宅捜索令状が出た。捕まって言うのが、 * 「じゃあこのへんで、わたしが最近知った興味深いことを話そう。確か、〈毒樹の果実〉と言ったかな。(略)令状が発行された根拠に何かしら問題がある場合、捜索によって得られた押収物は〈毒樹の果実〉とみなされるんだ。不正に取得した穢れた証拠ということで立証能力がまったくなくなる」 マンハント:謎の連続爆弾魔ユナボマー第3話 だって。ハン?と聞いて思った。 毒樹の果実? 最近知った? って、それって、ひょっとして、〈O・J・シンプソン事件〉で知ったとかじゃあねえだろうな。ユナボマーの声明文が新聞に掲載されたのは前回書いたように1995年9月。 OJが無罪評決で自由になったのはその翌10月のことである。《検察の出す証拠は不正に得られたものだから、たとえ本当に妻と間男を殺しいていてもOJは無罪》というのはあの裁判でも弁護側は言ったはずだ。それが通ってアメリカで初めて黒人にシロの判決。 こいつ、〈毒樹の果実〉ってそっから拾って誰にでも当てはめられると思ったんじゃねーだろーな。OJシンプソン事件の場合にそれが通ったのは、事件がOJシンプソンの事件だったからだろう。日本で言えば志村けんが妻と間男を殺したようなもんだから、「それでも志村はやってない」と叫ぶ人間がワンサと出る。裁判員に選ばれた者が〈毒樹の果実〉というのを聞けば、わからなくてもそれに飛びつく。 ことになるかもしれないけれど、OJシンプソンでない黒人の裁判で決して通らない話だし、麻原彰晃が痩せたようなおっさんの裁判でそれが通るか。 あやしいもんだよな。と思うけどFBIは、罪状認否で罪を認めさせたいらしい。陪審員裁判はできることならやりたくない。と、そりゃもちろんそうだろうがどうやって、というのがおれがこれから見る『マンハント』最終回の内容らしいが、どうなるんだろ。まあとにかく、 家宅捜索令状が発行された根拠に果たして問題はないのか。 と言われて思い出すのは、おれの場合はなんと言っても草彅剛の全裸事件だが、皆さんはどうですか。あの一件で警察は、家宅捜索を行った。それは当然、裁判所が令状を出したからだろうが、その根拠に問題はないのか。 結果として麻薬か何かもしも出てきたとして、それは裁判で証拠になるか。この日本でも弁護士が〈毒樹の果実〉だとかなんとか、叫ぶことにならないか。麻薬があっても無罪というのは有り得ぬ話じゃない。たとえば刑事の中にひとり、白い粉の小袋を持って入って机の上にでも置くのは簡単なことなのだから、 「警察はそれをやったに違いない」 と弁護士が言ったなら、「そうだそうだ」とみな言うだろう。おれも言う。必ず言ったね。あの件では――しかし、その後で、社会は果たしてどうなるか。 あの一件での家宅捜索令状は、そんなことまで考えたうえで出たものなのか。違うよな。ボンクラどもが何ひとつ考えずやったに決まってる。人間の価値は学歴と、肩書きにより決まるのだ。ワタシは○○大学卒で、警察組織の中のエリート。そして裁判所の人は、司法試験合格のエリート。そうだ、学歴と肩書きなのだ。それを持つのがいちばん偉いということを、この機会に下流民どもに思い知らせてやりましょう。 という考えで出たのが草彅の令状だった。その尻馬に乗っかって、 こんな顔した人間達がそうだそうだと勝ち誇り、鬼の首を獲ったように吠え立てた。芸能人やスポーツ選手がなんぼのもんや。世の中は学歴と肩書きや。それを持つ者が偉いんや。 と言えば一般庶民がみんな、それを悟ると思い込んだわけだ。栗山千明や志村けん、草彅剛と違って俺は専門家だ。専門家は替えが利かない。だから偉い。世界に何かあったとき、救いの主となるのは俺だ。 と言えば一般庶民がみんな、それを悟ると思い込んだわけだ。素人目にも不正な家宅捜索とわかるものがだからわからず、嵩にかかって識者ヅラした口を揃って叩きまくった。 その同じ人間達が、今にコロナで同じことをしている。テレビに映る機会を持つが学歴と肩書きによってそれを持つ。才能によって持つわけでない。〈コロナの禍〉とはそんな人間達にとっての数寄屋橋の歩道であり、だから一等一億円は必ず出ることになるのだ。それを引くのは自分だということになってしまうのだ。 だからセオドア・カジンスキーと、〈酒鬼薔薇聖斗〉の文も読んでわかったふりをする。心理学者やプロファイラーが「高学歴の者が書いた」と言うから、高学歴の者が書いたもんだと思って、 「おもしろい」 とか、 「共感できる」 だとか言う。普通の人には退屈なだけのものかもしれませんけど、ボクにはおもしろいですねえ。これを書いたのは天才ですよ。どんな人か知りたいなあ。 だとか言う。セオドア・カジンスキーは天才ではあったという。電気もガスも水道もない山小屋でひとり暮らしする男だった。が、それを言うならば、おれが書いた、 これの主人公だって、話が始まる最初のところでは貨物輸送機の機内からほとんど出ない半引きこもりの設定だ。そういうキャラが現代では共感を得ると思ったからそうした。 我々にはユナボマーと似たところがある。彼のような手段は取らぬが、不満には共感できる。と、こないだ書いたのと逆のことを書いてしまうが、しかし程度の問題であって、ロバート・ライトという野郎はなんに不満を持ってるのやら。TVアニメ『スーパーカブ』の礼子というキャラにしても、一体何が不満なのか。 ――と、いきなり話が変わるが、例によってもともとこれは『スーパーカブ』の話だったはずなのである。それが一体どういうわけか、自分でやってて言うのもなんだが、ユナボマーになっちゃったのだ。アニメ『スーパーカブ』において主人公と友達になる礼子というキャラクターは、カジンスキーの山小屋を人間の住まいらしくして電化したような家に住んでる。でもって第5話冒頭のモノローグで、 * 「子供の頃から、壁があるように感じていた。それは、わたしを取り囲み、自由に行動することを阻む。見えない、高い壁。その壁を乗り越えたくて、ひとり暮らしを始めた」 スーパーカブ第5話 と言う。聞いて「あのな」と思う。高校生がしたいと思えばひとり暮らしできるのか。『魔女の宅急便』に出てくる絵描きのねーちゃんとちゃうぞ。 と。しかもこれが、シャア専用ザクみたいな郵便カブで何をするかと思えばまるで、 これかよ、という。男にしかわからんよ、その気持ちは……って、こいつ、女じゃねえかよ。おれも男だが正直に言って、見てもサッパリ理解できない。こんなもんを書いてはいてもね。 山に挑戦する。挑戦したい。それはいいとして、それだけじゃ、普通一般の人間の理解を得ることはできんのじゃないか。 としか見て思えない。それをやることに何かしら、意味があるように持っていけねば、真の共感を得られはしないよ。少しでも他人や共同体のためになる部分がないといけない。それがなければストーカーが自分を向いてくれない相手に一方的に気持ちをぶつけているのと同じで、それじゃダメだよという気しかしない。 ユナボマーの声明文もそれと同じで、ストーカーが自分を振った女に送る長文の手紙のようだ。だからおれはロバートなんとかや、 こいつと違って共感しない。その一方で『スーパーカブ』の主人公、 この子熊という子は、 という話だが今日はここまで。それではまた。
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最終更新日
2021.05.21 22:00:05
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