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2022.05.11
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カテゴリ:帝銀事件
 
『美味しんぼ』初期の海原雄山は最低の人間である。ちなみにおれは最初の頃、〈海原〉の字を「うなばら」と読んでて、だから上に見せた画もセリフを「か……うなばらゆうざん!!」と読んでいたのだが、とにかく文庫版の第2巻にウナ原雄山が出る話はふたつ。ひとつめの『幻の魚』という話は、
 

 
こう始まって、料亭で東西新聞の面々と出くわすのだがするといきなり、
 

 
この調子だ。しかし、
 

 
こうなる。もっとも読む限りでは、雄山が優れた器を焼いていたのは若い頃という印象を受けるが、設定ではどうなってるのか。
 
まあさておき、この席で、
 

 
こんな展開になるのだが、結局のところ息子に敗けて、
 

 
こんな結末。これが「先生」と呼ばれる人と言っていいのかというところである。
 
だが、続く『料理のルール』という話は輪をかけてひどい。カモ料理で有名なフランス料理のレストランが東京に支店を出したその祝賀に士郎達も招かれるのだが、そこにまたもやウナ原雄山。店の料理にケチをつけ、聞こえよがしに、
 

 
この調子だ。おまけに勝手に持ち込んだ醤油とわさびで店の料理を食べ始め、
 

 
こんなこと言う始末。士郎が諌めの言葉を放つとそれに向かって、
 

 
こうなってしまう。だがまたもや息子に敗れ、
 

 
となるのでありました。この頃の雄山はこんなキャラクターだけど、この後に料理屋〈岡星〉店主の弟の良三が〈美食倶楽部〉の若き板前として話に加わり、そこから少しずつ変わっていく。その後も初期のこのようなエピソードがないでもないが、その描き方も異なって、何年かすると別人になる。
 
――が、おれは別にここで、海原雄山の話がしたいのではない。このウナ原雄山は実は当時の日本人を描いているのではないか。そしてさらに前の時代の日本人もそうだったのじゃないか。ウナ原雄山も最初からウナ原雄山だったわけではなくて、
 

 
こんな者達がいることでツケ上がった人間であり、だから本当に悪いのはこの者達の方、と言うか、ウナ原雄山のような輩に騙され、おもねてしまうヒトという種の心理にこそ問題がある。それが新たなウナ原雄山を生んでいく。帝銀事件の愚劣きわまる〈GHQ実験/平沢冤罪説〉が世にはばかってきたのもそこに要因があるのじゃないかとおれが考える話をこれからしたいわけなのだ。
 
が、まずは海原雄山。ひょっとしてこの男には、モデルとする人間が存在しているのじゃないか。あるいは、そのものじゃないにしても、フランス料理のレストランに醤油を持ち込んだおっさんがいて、「先生」と呼ばれる者であったためにまわりの人間がおもねった。そんな話が実際にあったか、原作者の雁屋哲がじかに見ていたりして、それがマンガのネタになってる。
 
ということはないかしらん、と今に見て思ったりする。1980年代は日本人が世界から、〈経済侵略者〉と呼ばれた時代だった。黄色と黒は勇気のしるし、24時間戦えますか、なんて歌を歌いながらやって来る変なやつら、日本人。当時におれは中高生で、外国のどこで日本の外交官が傍若無人なふるまいをした、なんて話をずいぶん聞いた憶えがある。何をしたのか細かいことはいちいち憶えてないけれど、たとえば当時に景山民夫が出した本に、
 

 
こんなことが書いてあったりして、相当に目にあまるものがあったらしい。ゴッホの絵をそれがゴッホが描いた絵だというだけの理由で日本企業が値を吊り上げ、1979年に1億円だったのが2億4億8億円、16億に32億、そして64億円となったところでバブルがはじけて何もかもがヘナヘナになった。
 
と言うけどその頃に比べて今の日本人は少しはマシになったのか。わからないけど、それより前に、もっとひどい時代があった。かつて日本が本当に侵略国家の時代があった。1930年代。その頃にウナ原雄山になろうとしてなれなかったのが、
 

 
この平沢貞通で、人の本質はあまり変わらず、自分を偉く見せることに長けた人間が偉そうにしているのに出くわすと、ついつい「この人は偉いんだからへつらわねば」と思ってしまって神輿を担ぐ集団に加わってしまったりまでする。
 
だから平沢は冤罪で、帝銀事件はGHQの実験ということになる。みんなが言ってるらしいからそれは確かなことなのだと。平沢の絵を見もせずに、平沢の絵は素晴らしい、だって文展無鑑査なんだ、だから無実だ、と言うことになるが、こないだ見せた『現代殺人事件史』って本に小さくこの、
 
 
 
獄中の平沢の写真があったでしょう。この写真を撮ったのが新藤健一という人物で、そのときのことを本に書いているのだが、その一部を見せると、
 


 
こうだ。まるきり聖人君子。しかしおれはこの本を大槻ケンヂの『のほほん人間革命』を読んだ後で手に入れたのだが、書いてあることのひとつひとつが怪しく思えて仕方がなかった。
 
たとえばこれの前のページに、この撮影に使ったカメラを《28ミリワイドのレンズをつけたニコンSP》と書いてるのだが、ニコンSP? それ、結構大きいうえにシャッターの音も響くんじゃなかったっけ。でもってすごく高価(たか)いんじゃなかった? 見つかって没収されたり壊されたりしたらえらい損害じゃねえのと思った。なんでこの、
 

 
〈オリンパス ペン〉だとかにせえへん。いやそんなのはいいとしても、どうやらこの人、通信社の仙台支社に転勤したのをきっかけに宮城刑務所の平沢に手紙を出し始めたらしい。文にはっきり書いてないけど、「自分はあなたの親戚だ」とでも素性を偽ってたようだ。で、撮って見せたページに書いているようにその行為に理屈をつけて正当化している。
 
そうして面会にこぎつけた。これこの通り百パーセント素晴らしい人格の持ち主なのが会ってわかったと言わんばかりの調子だが、こいつは写真撮りたさにこのとき一度ガラス越しに会っておしまいになる男だし、「絵の大家(たいか)だから無実」ともいう調子だけれど『美味しんぼ』の初期にあのマンガの主人公が父親を指して、
 
「あの冷酷無残な男が、このように芳醇な作品を作る…芸術の魔性というやつだ……」
 
と言う場面がなかったかな。だいたい、《富士山の絵は一流》なんて書いているけどただそう書いてるだけのことじゃね。
 
などということを考えたりした。そうだ。おれはこのあいだ平沢という人間について、『刑事一代』の本を読んで初めてみたいなことを書いたけれども、実はそれ以前から、こんなものを読むことでその絵の大家と呼ばれる者に何かウサン臭いもの、ウナ原雄山的な匂いを感じていたと思う。それが八兵衛の語る話で得心がいったというのがより正しい言い方になろう。またここに、
 
「所内での生活はどうですか?」
「梅雨時なので神経痛が出ますが、建物も新しくなり、宮城県は気候もよいので快適です。夏は涼しく冬は湯タンポを入れますので、まったく“別荘”のようなものです」
 
などと書いてあるけれどオーケンの本には、
 
 
こう書いてあって、「どっちなんだよ」と思ったりしてた。どうも普通の死刑囚は遠藤誠が言うように小さな窓がひとつきりの陽も射さず風通しも悪い部屋で夏は扇風機もなしの蒸し風呂、冬は暖房なしという生活を強いられるものらしいが、しかし平沢に関しては、遠藤は嘘をついている。〈獄中の画家〉である平沢だけは特別扱いを受けていて、ここで新藤に言った通りの〈“別荘”のような〉暮らしをしていたとしか思えない。
 
一方で「百パーセント素晴らしい人格の持ち主でなかったことは確かです」というのは遠藤が言うのが本当で新藤健一は平沢にたぶらかされているとしか思えん。おれがそう思いたいから思うのでなく客観的にどう見てもそうだ。
 
そしてその後、セーチョーの『小説帝銀事件』を図書館で借り、ざっと目を通していくと最後の方に、
こう書いてあるのなど見て「はん、やっぱり」と考えてブログを始めることになる。これが真実の平沢貞通。ウナ原雄山のなりそこない。よく言われる話と違って1950年代に平沢の無実を信じた人間というのはほとんどいない。〈出所不明の大金〉などなどといった話によって頭がマトモな人間は誰もが犯人と納得していた。
 
それが変わるのはセーチョーのこの本などもあることながら〈60年安保〉のせいが大きいだろう。安保反対のアンポンタンがドッと増え、安保に反対するためにあの事件をGHQの実験だということにしようとした。それまでは、イカレた説を唱えていたのはセーチョーのようなトンデモ陰謀論者だけで、いま見せた『小説』に、
 
《しかし、帝銀事件は、もっと頭脳的な、冷徹な計画性をもつ男でなければならない。逆説的に言い方をすると、平沢は嘘吐きだから、帝銀の犯人としての適格性が無い、と言えるのである》
 
なんて書いてるのはおれに言わせればバカバカしいにも程がある。
 
帝銀事件はおれには前にも書いた通り、
 
 アフェリエイト:TRICK
 
これと同じでイカサマ師による危なっかしい犯行に見える。毒を飲んでも自分は無事だが他の者はぶっ倒れる、そんなトリックを思いついた手品師の仕業だ。だがそれだけでやってるから、危なっかしいことこのうえない。「よくそんなのが成功したな」と思うような話であって、運よく成功してはいるが失敗してその場で取り押さえられてるおそれが多分にあったもんに見える。
 
16人中12人が死んだというのも結果がそうだというだけで、人を殺す気は実はなかった。〈荏原〉では毒が少な過ぎたのが、毒を増やして今度は多過ぎたんじゃないのか。計画性がないから人が死んだんじゃないのか。その疑いが強そうに見える。
 
セーチョーは最初の未遂である〈安田銀行荏原支店〉では怪しまれて巡査を呼ばれ、二度目の未遂の〈三菱銀行中井支店〉では支店長が毒を飲むのを拒んだ点を無視するからこんなことを考えて、〈小説〉の主人公である仁科俊太郎の思いとして書くだけだ。いーや、これをやらかすのは、『TRICK』の〈山田奈緒子の母〉のような奇矯な人間、つまり平沢、そのくらいしかないだろう。
 
そう考えたがゆえに2年前の2月、見切り発車でブログを始めたというのを説明したところで今回は終わり。次回から、いよいよほんとにGHQ陰謀説がいかにデタラメかをあらためて検証し直すことにします。刮目して待て。





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最終更新日  2023.01.31 20:07:30
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