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2005年03月14日
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カテゴリ:雑文
一般の人はどう思うか知らんが、拙者は、「けじめ」と言うものは、本来は己自信の向かって求むべき事柄じゃあないかと思っている。

往々にして、人は、他人に向かって「けじめ」を要求する人がいるが、間違いではないかと感じているんじゃ。

「けじめ」というものは、人生の中で成長していく段階において自然に身についていくものだけで十分な気がする。
「けじめ」を持つと言うことは、一方的に割り切るという考え方は、いい悪いにつけ明確に一線を画し、様々な問題の裁きへと発展していきかねないからにぇ~(^^)。

物事の善悪は、T・P・Oで変わってくるものなので、物事の判定に安易に線を引かないようにすべきである。

こんなことを書くと、また叱られそうじゃが、、(^^;)。


昨日、テレビで大家族の番組をしていた。
9人家族の中で、かあちゃんが自分の生活に嫌気が差し、子供と旦那を置いて出て行き、残った家族の生活を特集したものであった。

私は、このようなケースの場合いつも考えることは、子供の中に母親と相性の良くない姓名を命名してしまった子供がいるのではないかと感じる。

子供がいい運勢を持った名であれば、大抵の場合離婚する可能性は低いのである。
離婚する原因の多くは、子供に悪運の強い命名をしてしまった場合が殆どであると感じている。

「子は鎹(かすがい)」

遠い昔の言葉じゃが、夫婦関係は、子供次第でいくらでも変化するのである。
 
 
 






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最終更新日  2005年03月14日 14時48分49秒
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