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2005年03月31日
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カテゴリ:哲学研究室
庭はどこで庭となるか。設計者の図面においてだろうか。施主の意識の中だろうか。それとも具体化された工事の果てにだろうか。あるいは住み着いた者の日々の積み重ねだろうか。
 荒れ果てた庭、あるいは破壊された庭、そんなイメージが存在する。ということは、誰かがそこに住み着くことで、その時空間は庭となり、そして庭は主を失って漂泊し朽ちてゆくのである。庭のために準備されたスペースというものがある。しかしその空間は未だ庭とは呼ばれない。暮らしの場、逍遥の場、作業の場としての憂慮が、未だ庭と呼ばれないそこには欠けているのだ。

 庭は人間の日々の暮らしの憂慮の中で庭となる。そう言ってよいだろう。
 あらたまって言うなら、人間の日々の暮らしの憂慮が形作る装飾的リフレインの場。それが庭である。その装飾はレンガであったり、自然石であったり、あるいは朽ち果てた城壁のまがい物であったりする。また枯れ山水であったり、方形プールであったり、様々な植物や動物であったりする。
 ただ、具体的な道具が、その庭に所属することはない。たとえば箒は、庭に置かれた道具であって、庭の構成物ではない。およそ無駄に置かれた物、生えたもの、具体的な用途を持たず植えられたもの以外は、庭に置かれた、あるいは巣くう何々となるのである。
 キッチンガーデンのレタスは、それが朝食用として用途付けられている限り、ガーデンの変奏装飾の一部では無いのだということである。庭には贅沢な浪費が必要なのだ。





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最終更新日  2005年03月31日 21時28分03秒
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