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カテゴリ:哲学研究室
心が拠り所とするものは形だ。伝統の文化が受け継ぐものもまた形である。
その形を求めて、およそあらゆる技能、技術が拠り所とするものは媒介である。つまり形のないものを利用して、形を目論み、形のための型枠を作ってゆくのである。 媒介は、型枠の素材となることで私達の目に停まり、型枠となることで道具となる。 現代は、型枠万能の時代である。(つまり科学技術の時代である。)目(メー)ではなくて、型枠が全てを規定し、型枠が全ての価値観を判定し、型枠が心を操る。というのも、優れた唯一の芸術作品といえども、それを作るのは優れた型枠だからである。 パイデイア(陶冶)ということの解釈をめぐって、教育学の先生の意見に異を唱え、落第点をもらった過去の記憶を思い出す。小生は、当時すでに、教育には型枠工事がつきまとう、という風に考えていたのだろう。形のない土くれの原料をこねて優雅な壷を作るような具合に教育を考えることは、教育者の思い上がりであり、個人人格のある生徒への冒涜だと思っていた。 パイデイア(陶冶)という考え方の上で最も大切なのは、人格をこねて型枠にはめて作り上げることではなく、優れた型枠、優れた文化の見本を提供することなのである。 メーについての試論 承前 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年04月02日 19時05分18秒
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