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2005年04月18日
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カテゴリ:哲学研究室
 単なる生活のための空間ではない庭には、その庭に固有な時間というものが存在するように思える。主情的、情緒的に庭を見るとき、季節と個人の人生、文化と趣味とのはざ間で釣り合っている、不可思議な時間があるように感じてしまうのだ。

 個人の時間に閑が無い時、庭は季節の移り変わりを支配する時間にのみ身を委ね、やがて荒廃していく。およそ人間的でない自然の摂理にその空間を委ねたとき、庭は庭でなくなる。
 これをもって、つまり「庭に巣くう時間は自然とは異質のものなのだ」という考え方が、欧米のガーデナー達の一般的な思いであろう。
 自然の中に置かれて庭は出来上がるのではなく、それを形作り、構築していくのは人間の力なのだと。自然の一部が素材として見出され、人間の手によって囲い込まれ、文化と個人趣味の力で人間向きに形作られて、それは全き庭になるのだと。あたかも陶冶(パイデイア)の理念で市民教育がなされるように。

 しかし、その庭において型にはめられることを拒絶し、自己主張しているもの達のことを考えてほしい。
 それはシンメトリカルな理性の諳んじる文化形式の主張や、オブジェの配置が醸し出すイロニカルな理念や、そこに不可欠な建築物の機能美だけだろうか?私達がそういう主張で庭を見ようとするので、そう見えるだけでは無いのか。

 住環境としての数字計算が構成する美や、整えられた活動の場のレクイエム以上に、それらを背後で支えている季節や風土としての自然、単なる見え方としての自然がありはしないだろうか。更にその庭に巣くうもの達の個々の営み、例えば湖の底から無理やりに引き上げられた太古石が沈黙しつつも主張する過去や、無秩序に広がろうとする雑草といった存在が未来志向で自己主張する固有な時間が、そこにもう一つありはしないだろうか。
 それともそれらは、庭とはなんら無縁な者達が自己主張するだけの、異質なの邪魔者に気をとられているにすぎないのだろうか。私がそういった主張でもって庭を見ようとするので、そう見えるだけなのだろうか?
 しかしもしかして、この有象無象のもの達の固有な営みの集合こそが、今ひとつの庭の時間、つまり庭を陰で支配する、季節や風土を形作っていはしないだろうか。






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最終更新日  2005年04月18日 20時49分58秒
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