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カテゴリ:哲学研究室
空想というのは現実のものではない?
とんでもない。空想というのは立派な仮装現実であり、なおかつ実質の体験である。つまりバーチャルガーデニングなのである。 空想の中に出来上がった形や変容は、仮装現実として人間を支配するし、そのような力をもつ出来事として厳然と存在する。架空のものであるが、「なおかつ実質の出来事」なのである。この認識がなければ、バーチャル(仮装現実)な諸々の事柄の理解を基礎から見誤まることになる。 空想にはいろんな分野がある。白昼夢だけが空想ではないのだ。たとえば、詩、小説、もっと身近な物としては、計画!。予算などというお堅いものもある。これも空想の一種である。 一般的には決められた手順や規則をもつ仮想現実は空想とは呼ばない。・・・・の目的で行なわれる空想や、・・・・を準備するために行なわれる空想は、厳密に言うとバーチャルガーデニングではないのだろう。しかし、もともとは同じ穴の狢なのである。 計画というのを例にとってみよう。 大雑把に言えば、未到来の仮装現実であり、その空想である。到来するであろう現実のために枠組みや型を考え、未到来の現実を受け取り直す、中身の無い準備の枠組みつくりが計画である。言わば型枠作りの基礎工事であり、これはバーチャルガーデニングのための基礎工事でもある。 一見して、遊びや、シュミレーションというより、ワーキングとして捉えたほうが好都合にも思える。しかし、実はワークの対象がさだかではない。計画は、対象を見据えるものではなくて、具体的なワークやガーデニングのための基礎工事、つまりバーチャルガーデニングのマイスターのようなものなのである。 計画では具体的な中身は一切ない。そして大概が楽しいけど難しい。一種のシュミレーションのようなもの、つまり実質は空想で成り立っているからだ。 いろんな計画がある。列車の時刻表、旅行プラン、そして郵便局の簡易保険のタヌキ算用。役立つ計画もあれば、役立たない計画もある。目的に添った計画は役に立つが、目的のあいまいな計画は、そのほとんどが絵に描いたもちである。食えない仮想現実だと言うことである。 しかし目的や目標だけでは計画は成り立たない。空想の枠つくりの要素が無い、数理詰めで計算された計画というのが、机上の空論とか砂上の楼閣と呼べるであろう。予想もしなかった出来事の出奔で、その綿密に具体化された計画は、あっさりご破算となる。 どことなく生命の種の分化や進化の現実に、似てはいまいか。 写真はホクシャ。どんな計画と空想が、この形を作ったのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年06月23日 20時25分07秒
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