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2006年02月23日
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カテゴリ:哲学研究室
こころは、感覚として受容される主意識と、延長された身体である副次意識の乖離がもたらす時間的な意匠である。それは庭として、身体外部に仮置きされることができる。
 庭の様々な形や様相としてモノ化されることに始まり、記号や言葉となって代置されるに至って、継承可能なものとなる。もともとは時間図式にすぎないので、変容(メタモルフォ-ゼ)がその常なる本来の姿である。
 普通は、この変容は、ただ神話的なものとしてしか伝承できないと思われているが、モノ化した文化の形に代置されることでも継承できるわけである。
 私たちがこころをこころとして感じる時、それは感覚受容の系列と操作できる身体の副次意識との乖離として確認できるはずである。その時間図式を、こころの表象という表現で代置し、モノ化して伝えているようだ。

 表象というのは、しかし瞬間的なイメ-ジであり、時間手順を含んでいない。したがって、どうしてもうすっぺらくなる。記号論理だけでこころの世界を考えると、全てが薄っぺらく感じてしまうのは、それが時間的な諸々を、ただ前後関係や繰り返しの数に変えてしまって、変容である本分の実質を、その衝撃を排除してしまうからである。
 私たちが時間そのものを難問としてしか捉えられないように感じるのは、それが「こころそのもの」、つまりバ-チャルな実質であり、仮置きされていった身体そのものだからであるように思う。時間は、代置された数や記号ではなく、それが代置されるときに排除された隙間の方なのであるから。

屋外のプリムラ、今年はまだ咲きそうにない。





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最終更新日  2006年02月23日 19時43分10秒
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