|
カテゴリ:カテゴリ未分類
薄暗い平原から、突然色鮮やかに甦る記憶。再ロ-ドしたその記憶は、鮮明な再体験である。つまり過去が繰り返されるのだ。
記憶が意味深いのは、それが反復だからである。反復されない記憶は色あせた写真のようなものだ。やがて風化して朽ち果てる運命にある。 記憶が風化して朽ち果てないのは、それが何度でも反復して再体験されるからである。 年を重ねて、記憶が曖昧になってきた。それは多分、再ロ-ドして記憶を再体験する機会が減ってきたためだろう。どんな記憶も、いずれ朽ち果てる。テ-プの磁気は30年と持たないし、cd-rの焼きこみも何十年単位でたぶん、駄目になる。いくら保存年限を長くしても、再ロ-ドして反復しない記憶は、いずれ朽ち果てる運命にある。永遠のものなど、どこにもない。 しかし脳の機能が解明され、記憶がセ-ヴやロ-ドできるようになってきたら、いずれ記憶というのは売り物になるだろう。記憶の商品化である。 多くの貴重な体験はそれ自体が商品化され、人々の記憶の追体験の中で陳腐化し、ありふれた日常のものとなっていくのだろう。 そのとき、個々人の人生というのは、どんな意味を持つのだろうか。やはり、エンタ-テイメントであるにすぎないのだろうか。 相場全般連れ落ちが怖くなって、内需なのにセキスイハウス売却した。早買いの売り急ぎで後悔するは小生の過去の常。きっとこれから暴騰するに違いない。 写真は重たそうなコンテストのバスケット。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月15日 20時27分06秒
コメント(0) | コメントを書く |
|