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2006年05月28日
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カテゴリ:庭園論
 この疑問が持っている問題は、やはり伝統や文化の定義にも抵触してくる問題である。 もともとカルチャ-という意味での文化理解、文化の定義には異議があるのだが、こころの形としての文化、文化としての庭、を考えているうちに、わずかながら鮮明となってきた考え方がある。
 それは思想の形や、形の思想といったものが、現実問題として現前するのではないかという思いつきである。文化的伝承という形で、つまり庭園として、耕される農業ノウハウの技術的伝承という文化理解とは没交渉に、あるのではないか。形の思想、思想の形が、ごく普遍的なものとして、太古の昔からあるのではないか、という疑問である。
 これは言い換えると、代置される言葉や記号による技術伝達、情報伝達とは違う、まったく別の、しかももっと強力に人のこころに働きかける普遍的な伝達方法があるのではないか、それが文化なのではないのか、という考え方である。

 日本の庭園文化で伝達される独特の形の思想は、言うまでもなく文化そのものである。これは耕作や、人間の技術ノウハウとは何ら接点を持たず、対象としての自然とも接点を持たない。
 むしろ庭園というのは、人の身体外部に仮置きされた身体、別の言い方をすると、人のこころの形である。だから人のこころが取る形や思想も、表現されているはずであると考えるのは当然だろう。実際に西洋庭園文化を研究するさいには、必ず社会的背景や流行思想が反映されているとして検討される。特に作庭者や施主の思想が、文化の形の背景を成していると考える。
 同じ研究方法は、文化そのものである日本庭園には、全く当てはまらないのではないだろうか。

 というのも、日本庭園が持つ独特の形の思想、思想の形としての文化においては、文化の定義自体が「カルチャ-」ではありえないからだ。それはむしろ「庭園」なのである。 ここに西洋的な意味での技術的意図は皆無であるし、思想的にも、アナロジ-的な思想は、まるで皆無だと思われるからである。
 日本では、伝統的に教わるのは技ではなくて形の方である。技術は親方から教わるものではなく盗むもの。つまり自らの意思で個々人が、自分で見出すものなのである。

日本人は寄せ植えが好き。出会い系も好き?





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最終更新日  2006年05月28日 20時24分13秒
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