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2006年07月03日
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カテゴリ:庭園論
歴史というものを、過去に起こった真実の物語だと思っているようなむきには、仮山を立てる日本庭園の真髄は、その基礎から読み違えることとなるのだろう。
 歴史とは暦だてられた仮の記述、つまり建て前の記述である。少なくとも日本庭園という文化が相手にする歴史は、そんな代物である。その建て前は大海のなかに蓬莱を見出し、築山にして据える。これは須彌山のかわりに据えるのである。一つの岩である場合もあるし、松の木が組み合わさった岩である場合もある。あるいは複数の岩が組まれたり、複数のツツジ類の刈り込みが代用されることもある。

 箱庭の基礎となる、この形の形成は、必ず地割された海と蓬莱を見出さずにはおかない。そして築山のない日本庭園はありえない。国土を据えるように、日本庭園は造営されるのである。
 基礎は地図のほうにあるのだ。そして歴史が示される。それは建て前として示され、立花の精神でもって据えられる立石、あるいは一期一会の精神でもって用意される路地なのである。この歴史は種族共通の約束事のような馴れ合いの歴史ではなく、そこに直面する個人個人が今初めて選ばねばならないような、実際には深刻な歴史である。

 日本庭園に直面したとき、全ての人が問い掛けられるのである。種族としてではなく、また建て前としてでもなく、個人個人の生起するこころとしてである。
「汝は日本人なりや? あるいは、日本のこころを理解しうるや?」
 石組みの形の背後に、立てられた仮山の建て前の背後に、聳え立つ須彌山を見たものは納得する。自分が日本人であること、日本のこころである日本文化の真髄を、垣間見た形において理解するのである。
 一般には、須彌山は宇宙儀だという。小生はそれを、無意味でちゃちな模型だとは思わない。むしろその宇宙儀は、それを護ってきた人々の歴史なのだと考える。あれは仮山の別名であり、100余部族の日本人となっていった人々のこころが共通して持っていた、膠着語六千余年の歴史であり、地図であり、そして基礎文化なのであると。

ビフレナリア・ハリソニエ。これも本当は春咲き。





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最終更新日  2006年07月03日 21時21分28秒
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