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カテゴリ:哲学研究室
そこで今一度、ガーデニングの役割を問いたい。正確に言うと、役割られざるガーデニングの本分をである。日本庭園では職人の伝承として、表ざたにならない、隠れてしまうこころの形の本分をである。
これの、役割られざる役割とは何か。 それはこころの目的を問うに等しい。こころに居心地の良さや悪さはあっても、目的は見えていない。諸々の作庭書には書いてあるかも知れないのだが、それを読み取る能力が今の我々には無い。風水や、陰陽道、諸々の迷信として見えてしまうものが、そうかも知れない。 徹頭徹尾バーチャルの提示をのみ主張する日本庭園と違って、しかし外国のガーデニングは個人個人のこころを主張するものである。ここでは多くの主張が語られ、諸々の文学にも表現されてきた。この部分に注目したい。 古今の著名人による庭の記述については、過去にそれらを批評したノートがあるので、それを今一度思い起こして見たい。 http://www.geocities.jp/tikudenmura/bunko/teienron1.html 当時とは自分の考え方もすでに変質しているだろうが、何らかの手がかりがあるかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月24日 12時30分49秒
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