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2006年12月06日
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カテゴリ:哲学研究室
 インターフェイスの持つ二重性に、もう一度注目したい。
 人が道具的に物と関わる時、道具は物を作る。同時に人も作られるのである。相互に向き合ったインターフェイスである以上、それは当然のことである。
 ところが、この部分は普通置き忘れられている。家を作ろうとした人間は、かれが大工道具類と関わることで、自らが大工となった、つまり造られたことを自覚するだろうか。 伝統の職人は、それを深く自覚していた。諸道具と関わることは、こころの形と密接な関係にあったのである。こころの形を形成する領野である庭との関係も、失われずに持っていたであろう。
 
 しかし今日、バーチャル・ゲームをシュミレートし、作り上げていく少年は、彼が自ら道具を使って何かをしているという自覚を持っていない。こころの領野である庭は偽装され、バーチャル空間の中であてどなくさ迷っている。人をそこで殺しても、自らが殺人者となったということは自覚しないだろう。その事実は変わらないのだが。
 どうして自覚しないで済むのか。

 それはこの現実を、仮想の現実であって本当の現実ではないと思い込んでいるからである。自分のこころの方は現実感だが、対象となる殺される相手は現実のものではないのだと。まるで現実というものが自分のこころと遊離した空間にあるかのような見解を抱いているからである。
 これはインターフェイスが、そうさせるのである。こころにすべての現実を与えず、インターフェイスがその一部を肩代わりする。これは自動機械と言い換えるべきかもしれない。道具的なこころと向きあったものでありながら、同時にどこか違う方向をも見ているのである。

擬態





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最終更新日  2006年12月06日 12時21分20秒
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