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年賀状みたいなことを言うが、新年の挨拶というのはそんなものだと思っている。その年賀状も年々減らせて、ついにブログ上で挨拶するだけになってしまった。
残念なのは、たくさんもらうネット上の年賀状の多くが、最新のホームページビルダーで作られていたり、最新バージョンのフラッシュなんとかで作られていたりするため、小生の古いモジラブラウザでは見られないことである。pdfなんとかで作られている代物に至っては、逆に腹が立つくらいである。 時代遅れの人間となってしまった。 今年は新年早々(確か1月末頃)に新しいウインドウズが発売されるとか。現在売り出し中のものを完成させることもないまま、次々に新しい企画をだすことは、ソフト産業が置かれている余裕のなさを物語っている。どれもこれも欠陥だらけ、疑惑や瑕疵や齟齬だらけのまま、次々と基本的な規格が変わる。にもかかわらず、米国の圧力で消えたトロンの大衆版は出てこないので、人々は粗雑なwindowsに頼るしかない。小生のasus機械のペンギン野郎(linuxのこと)も、実はウイルスにやられて以来、動いていない。(今使っているのはwindows_me、小生はxpは持っていない) 最近特に「あんたのosは古いから、この動画は見られません」というやつが増えた。この口調は、その昔、過失100対0の交通事故で、加害者代理人の言ってきた、「あんたの車は古いから(当時帝人ボルボの240に乗っていた)、査定額はゼロです」、という弁護士の口調を思い出させる。 年月が経てば、過去の文化には価値がなくなる、いや、基礎が置かれなくなるというのが最近の風潮のようだ。もはや過去の港は無く、記号論理学やサイバネチクスの未来を信じて船出した人々には、帰るべき郷里もないのだ。頼りになるのは、高い金のかかる弁護士だけというわけである。 新年早々、さっきから一人で飲んだくれているので、薄ら寒い話題しか出てこない。ヤフーの正面玄関のページを更新する気力も、すでに無い。 しかし1年の計は元旦にありという諺がある。ここで何かももくろんで置かねば、1年を無駄に過ごしてしまうということだ。 そこで、これだけは念頭においておくことにした。今年は昨年のような、バーチャルなメデタイを釣って浮かれるだけでなく、何か将来に残せるような仕事をしようと。 さしあたり、年末に述べた三つ目の課題、それを1年かけて追求していこうと考えている。 某神宮境内 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年01月01日 19時22分51秒
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