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2007年03月01日
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カテゴリ:哲学研究室
 バーチャル・ガーデニングは、個人の作業であるようにみえて、実は社会活動である。誰でもこの作業はやっている。自分という存在と、社会という存在を馴染ませる作業として、ほとんど無意識のうちにやっているのである。
 具体的にどういう作業を言うのか。

 例えれば自分だけの仮想の庭つくりである。あるいはボデービルや太極拳といった身体作りや武道なども、そうである。ホームページ作りもそうであろうし、詩作や作曲もそうだ。但しあらかじめ用途づけられた作業のことではない。漠然とした目的感のないままに、いわば生存への意思としてやっている作業のことだと考えていい。
 誰でも、こころの庭を持っている。バーチャル・ガーデニングと仮に名づけたこれは、こころの庭のガーデニングなのである。いわばこころを庭として身体化させ、自らの意思領域として制御できるようにという、ささやかな試みである。

 実際には、自分のこころに自分だけが住んでいるわけではない。こえだかに叫ぶ他人のスローガンや、悪魔のささやきや、伝統の形も住んでいる。諸々の趣味や、好みや、傾向、こだわり、憧れとして住んでいる。
 バーチャル・ガーデニングは、個人がこれらの有象無象を配置し直し、こころを整然と拡張し、社会の状況に対処できるように整える作業なのである。そして、こころを媒体としたこの作業が実際に扱う代物が、クラス(型枠)でもあり同時にバーチャリターである何かとしての「情報」なのである。

 「情報」を、明確に対象化され主語化されうる何かだと考えると、この見解は「荒唐無稽」に他ならないだろう。
 すべての何かを合目的に対象化し、いわば科学技術の対象として学問化してきた結果、こころが扱う方の情報は、誤った定義づけがなされてきたのである。それはクラスとしては捉えられたが、こころの形としては捉えられる方法がなかったのである。行き場を失ったそれらは、絵画や、彫刻や、音楽といった諸々の芸術、文学や演劇や、スポーツとして、こちらも誤った評価がなされてきた。優れたインターフェイス的技術として評価されるべきものが芸術として価値化(媒体化)されて、社会に認知されてきたのである。

 ボロボロが、ついにボロボロとおかしな音を出し始めた。エンジンがあったまったら静かになるんだが。・・・  





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最終更新日  2007年03月01日 12時20分55秒
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