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2007年06月24日
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カテゴリ:哲学研究室
 小学1年生のとき、初めて学校の図書館で本を借りた。
 それは「ふうせんたぬき」という、実にうすっぺらい絵本で、何ページもないものだった。
 司書の若い先生が何度も、そんな薄いものならここで読んでいったらどうか、もっと分厚いのを借りたほうがいいと、おせっかいを焼いてくれた記憶がある。もちろん当時から、いごっそうだった小生が、一度決めたことを変えるはずがない。

 その絵本から得た情報量は、たぶん、当時良く読んでいた冒険王や少年画報といった分厚い月刊マンガより大きなものだったはずである。作者の意図や、文章、筋書きには何の興味もなかった。その絵本の絵が持つ「情緒」あるいは「叙情」に、そのとき注目していた記憶がうっすらとある。

 情報は、いやデータの方も、その総量は受け手の方で決まるのである。インターネットがいかに膨大な情報量を提供しているといっても、受け手がエロサイトしか見なければ、エロ情報しか出回っていないに等しい。
 情報は、これこれの情報であり、バーチャルなクラスである。それは必ず媒体を伴い、媒体を認識する受け手がなければ、情報としては成立しない、相互に向き合ったクラスなのである。

 たとえば犬に色鮮やかな美しい景色の写真を見せたとする。犬が興味をちょっとでも持つなら、それはそこに写った犬の写真の方で、犬に色鮮やかな美しい風景は見えていない。
 これはそこに情報が盛り込まれてあるのに気がつかないということだろうか?
 情報が、オブジェクト・クラスであるなら、そのとおりである。 オブジェクト・クラスの部分が大きい文章や、記号や、モジュール的な写真の構成要素はそのとおりである。
 しかし情報は、いや、データも、その主要な要素はバーチャルなクラスで成り立っている。受け手の準備が整っていなければ、情報は十全な情報ではないのである。
バーチャルなクラスという意味は、受け手次第であるという意味なのだ。





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最終更新日  2007年06月24日 19時53分15秒
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