|
カテゴリ:カテゴリ未分類
絵の趣味というのはいくつかのパターンが考えられる。まず絵心があって描くのが好き、という場合。コレクターとして自分のものにするのが好き、という場合。さらに美術館巡りをして、バーチャルな雰囲気に溶け込むのが好き、という場合である。
誘われれば嫌ではないが、美術館巡りというのは実はあんまり好きではない。まだ描くほうがましである。最近はものぐさがひどくなってきて、金も置き場所もないのにコレクターをやりたくて仕方がない。 95年頃、図書館の美術全集を全部家のpcに取り込んでやろうという横着な考えを抱き、これは未だ時代が来ていなくてあっさり、ぽしゃった。今なら技術的には全く問題がないが、今度はインターネットの普及で、そんな試み自体が無意味な作業と化したかに思える。しかしどの美術館も、提供する絵は小さくて、とても鑑賞に堪えるものではないから、自家用コピーなら許されるかも。 唐突であるが、絵は窓である。絵には絵の時空間というものがあって、窓でそれを表現している。その表現が真に迫り、リアリティがあればあるほど評価は高い。しかしそのリアリティは日常の怠落の中にあっては無意味なのである。実現実との落差のような、独特の違和感がなければならない。窓が異次元への入り口であるというのが最高だろう。 小生の描く絵は、いわゆる下手の横好きの類いである。本当はピサロやルノワールのような絵を描きたいのだが、出来上がるのは、緊張感に欠けた、できそこないのセザンヌである。実は、緊張感が張りつめたようなセザンヌは、好きではない。 窓としての絵に目覚めさせてくれた、いわば絵の先生は、上手の代表とも言えるスーラーと山下清先生なので、小生の絵が下手なのは基礎技術がどこか拙いのであろうと考えている。但し今更勉強するつもりもない。 ボブおじさんの絵画教室のような、手軽で、誰でもささっと描いてしまえるような誘いと指導があれば、再び挑戦してもいいのだが。3DCGの世界に至っては、その複雑怪奇な技術の入り口でつまづいて、こけ、二度と立ち上がれないでいる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|