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2007年10月30日
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カテゴリ:哲学研究室
 しかしこれを、世間は逆に、まるで反対に読んできたのではあるまいか。

 たとえば天動説地動説は、こんな読み方ができる。
 天動説は、まず対象はかくありきという形而上学があり、それを神の権威で認識し説明するために、複雑な方程式が立てられてきた。いわば対象が、人間の認識や学問のありかたを導いていた。(実際には形而上学という先験的理念が、対象を規定してきたのだが)数学や科学技術理論は、科学技術対象という神に奉仕していた。

 ところが地動説では、対象は認識の方に随わねばならない。対象を合理的に、合目的に配置しなおす認識理論の方に随わねばならない。対象が勝手に振る舞っていたのでは、その対象を跡付ける方程式は複雑になるばかりである。合目的な仮説を立て、その理論で対象の振る舞いがより合理的に説明できるなら、そのほうが正しいのである。結果的には地球が動くほうが合理的だった。だから地動説が認識論の優位を告げる。

 これと同じように、カントの意見も後者の方だろうと見なされてきたのではあるまいか。
 これではカントの意図と、まるで逆なのである。こんな読み方をするなら、カントはバークレーやヒュームと同じ立場に立ってしまう。この読み方だと、カントは躊躇せず前者を選ぶだろう。

 他人の読み方を少し検証してみよう。

「カントが自分の認識論でおこった事業を、コペルニクスが従来の天動説にたいして地動説を主張して、天文学に大転換をおこしたのにたとえて用いた言葉。すなわちかれは、従来、認識において主観が客観(対象)にもとづいて認識をうるとしたのにたいして、その反対に客観が主観の先天的形式によって成立せられるという転換をおこったことをいう。しかし、これは転換にはちがいないが、認識論において主観的観念論を主張することになったにすぎない。コペルニクスは、むしろ地球中心的見地から太陽中心的見地に移ったのだから、いわば人間の主観的見方から客観的見方に転換したのであり、カントとは逆な方向に転換したのであり、この比喩は適切ではない。」哲学辞典 森 宏一編集 青木書店 より(グーグルでヒット)

 論旨に随ってまとめてみよう。
 従来は、主観が客観(対象)に基づいて認識を得るとしていた。
 これに対し、カントは客観が主観の先天的形式によって成立するという(認識論を述べた)。 コペルニクスは地球中心という主観的見地から太陽中心の客観的見地に移ったのだからカントの主観的観念論とは立場が違う。この比喩は適切ではない。

 なにをか言わんや、である。これが哲学の辞書であるとしたら、哲学徒の末席に居る小生の存在が恥ずかしくなるだけである。こんな論議には加わりたくない。

こいつを蒔かねば、・・・蒔く場所がない・・。





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最終更新日  2007年10月30日 17時33分35秒
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