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2007年12月19日
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カテゴリ:哲学研究室
  明治になって欧米人の多くが日本に来た。彼らが一様にまず報告しているのは、日本人の誰もが被っていた不気味な仮面の表情である。武士も町人も僧侶も農民までもが、皆一様に能面を被っている、と彼らは報告している。 
 建て前は、私どもの和の文化の根幹である。これは点前であり、館前でもある。庭園を築造するさいには石を立てるが、これもたてまえである。こころの形を示す能面なのである。華道を支えているのも、茶の湯を支えているのも、武道や礼式作法を支えているのも、このたてまえなのである。

 中国や西洋の言語は、こころの対象として、主語を直接立てる。これがズブエクトウムであり、面子である。これらを支えている対象化のクラスは、そのものとしては隠されていて、みえない。
 膠着語では、こころの対象、つまり先験的なオブジェクト・クラスである「能」を、まず見せるのである。これによって、主語や実質の対象は逆に隠れる。

 同じ図式が、無意識のうちに自然にも適用されているのだ。
 日本人が自然と言う時、それはたてまえとしての自然なのである。隠れ無き発露である、たまたま目にしたフィシスのことではない。
 だからといって、日本人が自分を騙す嘘つきだというわけではない。たてまえとして提示されるこの先験的なオブジェクト・クラスの別名は「こころ」だからだ。
 言わば日本人は、論理ではなく、こころで直接、自然を語ろうとしているのである。また、自然は、そんな語り方しか出来ないと考えられて来たのである。
 環境的自然を語ろうとする人々の多くは、環境の持つ定義の意味や数値的意味を掴んで、科学技術的に語ろうとしているのではなく、単に「こころ」で語ろうとしているにすぎないのである。
 だがこれは、こころを前面に出す膠着語の持つ特殊性を認識していない多くの欧米人の誤解を招くだろう。彼らの言語はこころではなく代置された論理で語るように出来ており、こころは、普通にはじぶんの外に伝達の形では出せないと考えているからである。

 自然環境、という言葉の中に、私どもは自分のこころをも封じ込めて語る。数値や体系は建前であって、本当に言いたいことは自分のこころが、そこに包囲されてあるということ、自然と一心同体だということが言いたいのである。
 これは中国人や欧米人には伝わらないだろう。彼らは自分のこころが自然と一体だとは思っていない。
 俳句を通じて、言葉の中に含まれるこころの動きを形にして表現してみようという文学運動があることは知っている。ポエムとは全く異なる、季語という建前を使っての、この俳句独特の心の動きは、欧米人にとって全く目新しいものなのであるようだ。
 
 





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最終更新日  2007年12月19日 12時35分24秒
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