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2008年05月13日
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カテゴリ:哲学研究室
日常的人間であることをやめ、心身脱落した、いわば悟った状態でなければ、ありふれて既知の、存在しているそのことを認識できないというのは幸いなことなのであろうか。それなら日常の怠落にあるわれわれは、普段何をしているのだろう、ということになる。
 そうではなくて、ありふれて既知のあるということこそ、そこに時間が、クラス化された構想力の、普通の時間があるのだと考えたい。
 バーチャルな存在のありかた、バーチャリターが特殊なのではない。純粋悟性概念の図式や、エクジステンツ論こそが特殊なのである。

 もっと特殊なのが、科学的認識の合目的思考である。
 純粋に、つまり数学的時間図式に真であることを立証でき、客観的に、再構成可能な技術成果を目論む科学的な思考や認識は、まず命題を立てる。それから仮説を立てて、再構成可能な技術を目論む。事柄を全て客観化しようと図る。
 つまり時間手順を図式化してクラス構成し、言わば型枠を作り上げるわけである。まず数学公式が純粋な理論の整合性を立証し、ついで、その型枠で同じものを生産できることで、その技術が正しいものであったことを証明していく。この逆である場合もある。
 そこでは存在問題や、人間の問題が論議されることは少ない。いや、自己の存在問題として、ラジウム抽出の技術や劣化ウラン弾が研究開発されることは起こりえない。

 これまでは、である。
 バーチャル・リアリティ技術の開発において、言わば存在論的な環境が変わってきたのだ。
 現実とは何か、人間とはなにか、私というこの存在認識はいったい何か、という問題が、科学技術の成果として問いかけられてきているのである。
 多くの科学技術者は、この問いかけに答えようと真剣である。
 これを彼らが哲学者になったと思う人がいるかも知れないが、それは間違いである。むしろ日常に空けられてしまった現実の風穴を塞ごうと、自分の出した命題や仮説の不整合を正そうと必死であるだけだ。
 哲学者も例外ではない。彼らは哲学の終焉を見、そしてそれを見てみぬふりをしているだけである。数多い哲学徒の末席に小さくなっている小生も、事情は同じである。





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最終更新日  2008年05月13日 12時22分15秒
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