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2008年11月13日
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カテゴリ:哲学研究室
 物理的時間は、学問的対象の厳密な確定と、それを照明する常識的時間が支えているということはすでに述べた。
 この常識的時間が働かないことには、対象の定義そのものが不可能であり、数学という照明も使えないのでは、身動きが取れないのである。科学技術が、もはやアリストテレスの構想した自然学ではなく、価値に導かれた技術企画であったとしても、その事情は変わらない。

 そしてこの常識的時間というやつは、今というこの瞬間を想定したこころの憂慮の別名であり、未だあるいはすでにない存在の、テンポラルな時の間のことである。時間は常識に基づいて言い立てられるが、その常識の中には無い。エクジステンツという呪文で開かれる、何も無い空無な亀裂のことを、私どもは時間と呼んでいるのである。
 存在の憂慮、つまりこころのひっかかりは常識的には時間である。そのようなこころにひっかかる形をもち、文化を持ったクラス(方枠)である。
 しかしこの方枠は時の間であって、同時にこころのあんよ紐であっても、それが時間であると言い立てることはできない。
 それは(客観的対象としては)常識としてしか、言い立てられないのである。

 それでは主観的に言い立てることは可能なのだろうか。
 可能だと思う。それどころか、それを単に主観的にではなく、バーチャルなこころとして、文化として言い立てることも可能だと思う。
 こころの能を、具体的な形とした、世界に類を見ない日本文化の数々がある。

    こいつは見つかったが、名前がわからなくなった。





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最終更新日  2008年11月13日 12時09分49秒
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