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2008年11月28日
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カテゴリ:哲学研究室
 小さな時間というのは、このバーチャルである、ということではないのか?
 これは物理時間とは関係がなさそうで、実はある。そして常識時間との関係もである。 バーチャルである、と、私どもが気がつく時、そこにはかならず主意識副次意識に分裂した物理時間がある。そしてこの分裂を感じているのは、当の常識時間なのである。
 画面上で、マリオという配管工が活躍する昔のゲームで、具体的に見てみよう。

 自分の身体を操るように、あなたはマリオを操る。但しその画面上の世界の物理時間はあなたの実社会の物理時間ではない。重力が作用する力の働きも、力学の構造も違う。そして常識も違うのである。ゲーム上の常識と、実社会のそれは違う。
 この物理時間分裂・常識時間分裂のことを、バーチャルと名づけるのである。分裂していながら、双方の時間にまたがって行動する。それを統一している小さな時間があるのである。それは物理時間でも常識的時間でもない。単に、時間である。

 すでにある現実のなかに、あらかじめ含まれている違和感としてのバーチャリター。
 物理的時間でも、常識的時間でもないが、あらかじめ時間である事柄。
 徳や得として価値的な領域に取り上げられるこの原憂慮は、客観的に価値化されないかぎり、単に主観的で幽玄な能の世界に留まるしかない代物である。具体的な価値でなければ、萌芽していない芽のようなものだから、問題に取り上げることさえままならない。

 しかし庭を立てることで、この問題は問題となる。
 ゲームの立てる庭は、あなたの身体であり、頭脳であり、同時にあなたのこころの庭である。そこにバーチャルな何かを感じるならば、物理的時間でも常識的時間でもない何かの時間がそこ(ゲームというこころの庭)にはあるのだ。
 単に時間であるということと、小さなこころの庭が立っているという事柄は相い等しい。だから、これを主観そのものの働きだと、主観的な能の申し立てだと言いたくなるのだろう。
 しかし主観申し立てと、バーチャルである幽玄な能の提示は違うと思う。
 





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最終更新日  2008年11月28日 12時23分47秒
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