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2009年01月30日
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カテゴリ:哲学研究室
 geshtellと直面することは、哲学的に言うならニヒリスムスと対決することである。
 大いなる真昼の永劫回帰を、よし今一度と飛び込むことである。
 しかし、それはプラトニズムの罠に填まってしまっていることだと思う。
 プラトニズムというgeshtellの手先の犠牲にならないように、小生が先生として選んだのはアリストテレスだった。

 先生のフィシカ(自然学)は、露に見えている形と力をのみ扱う。見えていないgeshtellは扱わないのである。
 但しgeshtellは、今日では随所にその影を落としている。その影の何であるか、本質を、その形と力において問いかける先生のメ・タ・フィシカ(メの自然学探求)は、哲学が終わった(プラトニズムの終焉)といわれる今日でも、有効性を失わないと思う。

 但しこの形と力を問うことが、図式を、つまり常識的時間という構想力を問うことだという自覚がないと、無自覚な命題に沿ったビジョンを追求するプラトニズムに堕する恐れがある。無味乾燥に見えるかもしれないが、形式や枠組みが全てであって、中味には関わらないことが必要だと思う。
 何故なら、そのような中味などは、イデアとして空想しているだけであって、もともと無いものだからである。

 全ては人間の認識が齎した中味である。人間の認識構造に中味がないのに、思惟的対象に中味があると考えるのはおかしい。途中でへんなものが忍び込むというのが、最もいけない。モノ自体とかこころ自体には関われないのだ、という自覚も必要だろう。
 フィシカが選り分けているのはイデアに基づくビジョンではなく、(こころの)形と(計量した)力である。geshtellも必ず、そのようなモノであるはずなのである。

----こんなのは夢ものがたり----





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最終更新日  2009年01月30日 12時14分46秒
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