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2009年03月11日
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カテゴリ:哲学研究室
 プラトンがイデア論に哲学の根拠を置く、いわゆるイデア論者であったかどうかはわからない。しかしアリストテレス論者であった可能性はない。プラトンの方が先生だったからである。
 ソクラテスに見出された哲学の方法を受け継いだアリストテレスは、師の見つめている天上のイデアという、その事態に危惧を感じたのだろうと思う。
 それは乖離してしまっている自分の足場を追求する学問であるべき哲学が、自分の足場を天上のビジョンの輝きで見えなくさせてしまう行為だったからである。
 しかし自己乖離し、無知を問うことが生じることのうちに、その問を導く何かが残されていることは、彼も認めていた。
 天上のイデアを言い出さずとも、地上の露で隠れない物事は、その形やエネルギーで物事として把握できているではないか。これこそが、哲学者がよりわけ、問いただすべき正しい方向ではないかと。
 日常の憂慮と、そこにもある常識的な形と力こそが、問いただすべき方向ではないか、と。

 フィシカ(自然学)として知られているアリストテレスの学問の集大成は、特殊な天上の力を問いただしていったものではなくて、日常の憂慮に乖離して「ある」多様な物事を選り分け、問いただしながら整理していったものである。いわば日常の社会や自己や野山を、その本来あるがままの姿を問いただし、ガーデニングし、整理していったのである。
 フィシカはまるで、初めて世間に出た好事家のコレクションである。あらゆるものが先生の興味を引き、あらゆるものがフィシカの対象であったといえるだろう。決して、今日私どもの言う「環境的自然」が相手ではなかったのである。

 環境的自然というのは、端的に言うとプラトニズムの産物である。自然というモノが、かくあるはずだ、という、見えもしないイデアが、美人局がある。
 哲学は、この環境的自然とは何であるか、考えはする。しかし、それが実在するからではないのである。それが言い立てる事ごとに、エイドス・エネルゲイアの導きがあるから、なのである。
 それをアリストテレスは、一般にメー・オンとして無意味だと考えられている事柄の中にさえ見出したのである。エイドス・エネルゲイアの導きを、自然学として見出したのである。
 それがメ・タ・タ・フィシカであると思う。
 形而上学ではない。メの自然学である。





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最終更新日  2009年03月11日 12時21分24秒
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