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2009年04月06日
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カテゴリ:哲学研究室
 時間とは何である、か、見直そうとしたら、自己が自己として立つ幽玄な庭に踏み込む必要がある。しかし実際に踏み込むのは個人ごとで、それをロゴスの場に持ち出すことこそが哲学者の仕事である。
 時間は、その固有の庭を持つということが焙り出されれば、その仕事は成果を得るわけである。それを、いろんな方法で探ってみたい。

 過去に、時間は対象として立たないことを確認した。個々人の憂慮に属する時間は、テンポラルな時の間であり、間隙であって、そのものとして対象には立たない。それは私、という自己の自己性が対象として立ち得ないのと同様である。命題的に仮想の対象を立てることは出来る。しかしそれは常に偽者である。

 しかしその自己の自己性は、憂慮として庭に立ち、そのことにより仮象の姿を見せる。そのことが示されればいいわけである。
 これはロゴスが、その場を明るみに出すことでもある。
 具体的なモノとなって立つことで、対象化できなかった自己の自己性もその憂慮も形を得るわけである。それは論理となり、形を得たものごとの時間手順を、つまり図式を露にする。そのことを示すことが出来ればよいわけである。

 それを実践するために、小生が常に呼び出していた呪文はバーチャリターやクラスという言葉であった。形而上学的呪文であったと言うべきだろう。
 但しそれらはカントが自らの庭の構築に使った純粋理性や図式といった定義済みの論理ではなく、カテゴリー化されうる、つまり世界の世界性の中に位置づけられうる形式を備えたものでもなかった。
 薄暗いバーチャル・ガーデニングの世界を示すものでしかなかったということである。 これをロゴスの場に、明るい対話の中に持ち出すにはどうすればよいか。

写真はオニユリのムカゴ苗。





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最終更新日  2009年04月06日 12時14分28秒
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