|
カテゴリ:カテゴリ未分類
犬とは、鼻を利かせて主人に付き従う忠実な番犬や猟犬のことであり、時に野生の血の臭いを思い出す狼のことでもある。
奴隷や庶民の類のことでは決してない。日本風に言うなら、合戦だけのために雇われた野武士、とでも言えばよいのだろうか。 彼ら犬とは都市の庶民の上に居座って、いつの時代でも支配や略奪、戦争を生業にしてきた傲慢な種族のことである。 闇夜が蔽い隠しているが、城壁の周辺には、延々と山岳の森が広がっているはずだ。 冷え冷えとした湿潤な森である。 そこには大勢の仲間がいた。この時代には未だ森が多く豊かであったハッチの土地には、貧しい異国から集まってきた狼や犬が群れていたのだ。 ハッチの土地というのは、小アジア中央部、つまり20世紀ではトルコという国がある土地のことである。 そこが、未だ湿潤な森に覆われていた紀元前18世紀の当時。世界の共通語というのは、まだこの世のどこにも存在しない英語などではなかった。すでに歴史の重みも十分な、セム系人種たちの話すアッカド語であった。 だが、当時すでに民族として存在しないアッカド人同様に、さらに古く、太古に亡びて久しい黒頭の主人たちの言葉であった膠着語、一般的にわかりやすく言うならウラル=アルタイ語も、ごく普通に世界中で使われていた。 ハッチの犬であった男の名である「アニッタ」の意味は、その黒頭の人々が使っていた言葉で、単に「男」という意味である。 精かんで理知的な額を持つアニッタの眼差しや頭髪は、この時代のハッチの土地の人々とは違っていた。シュメールの血を色濃く受け継いでいる庶民のような黒ではないのである。狼の眼差しの光を持つような、青みを帯びた灰色であった。 彫りの深い顔立ちからは、どことなく痩せた犬の風貌が伺えた。 失われた都市クッシャラの生き残りであり、唯一の王族でもあったのだが。 {クッシャラという言葉の意味は、ずっと後の時代のインドでクシャトリア=武士階級と名指される、それと同義だ。彼らハッチの犬の言葉は今日のインドの言語と同じ系統の言葉、つまり印欧語なのである} アニッタは幼い頃から、都市国家ネシャに捕らわれの身であった。 縛り上げられて息も詰まりそうな苦痛の記憶がある。幼いアニッタの耳に、風のささやきのごとく無機質に刻まれた会話の断片が、今でもその苦痛の中に残っているのだ。 ・・・・・ 「殺さないのか」 「ああ、五体満足に連れ帰れという命令がある。暴れるから脅しただけだ」 「裏切った犬の子だぞ」 「犬は、訓練次第で使い者になるからな」 「クッシャラが、復讐を企てるきっかけを残すことになる」 「それが、狙いだ。こいつは痩せ犬達の司令官となるそうだ」 「危険ではないのか」 「犬というのは、もともとは狼だ。危険なものだ。子犬を恐がっていてどうなる」 「・・・・・」 まだ幼い頃に、アニッタは犬達の司令官(シュメール語でダビドウムと言う)とされるべく捕虜となった。犬がやがてダビデとなる。それは征服者が決めた。定めなのだ。 しかし司令官も、戦闘の現場では一人の孤独な兵士にすぎない。 戦場の城壁に取り付いたまま、窮地に置かれたアニッタは、まず、こわばった指で体を支えることに没頭した。そして不自由な身体を意識から遠ざけて、ハッチの古くからの神々である「ナラ神群」にあらためて武運を祈った。 次に、遠い昔に神となった故郷クッシャラの父、ピトハナ王にも。 それから、捕らわれの日々を過ごした都市ネシャでの屈辱の記憶を飛び越えて、一人の女を思い出した。 ・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年07月27日 19時21分53秒
コメント(0) | コメントを書く |
|