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しかし伝統の権威と鬼道による支配も、満州にあった公孫氏の燕が反逆を問われ、魏帝国に討伐されて滅亡すると、にわかに怪しくなる。
卑弥呼は、布や食用奴隷といった貧しい供物を遠い海の彼方に送って、一心に魏帝国の機嫌を取ろうとする。 これはヤマタイ国が国力充実して遠方にまで外交を広めたという意味に取られているようだが、全く逆である。ヤマタイ国自身が追い詰められていて、実家を滅ぼす相手にも、もみ手が必要だったのである。 だが、贈り物以上に高価な返礼を受けただけで、それ以上の効果は無い。 卑弥呼は実家の燕からも、帝国の魏からも援軍を得られず、やがて、たぶん、大国の句奴国? との抗争に破れ、殺されたようである。ヤマトトビモモソヒメが彼女であり、箸墓古墳が、彼女の墓だという説があるがどうだろう。それだと近畿説になる。 神話においても、スサノオの暴虐により、太陽女神が隠れ、機織の侍女が一人、悲惨な死に方をする。弓矢は箸や機の杼に化けることができる。この侍女は卑弥呼のことだろうか。 倭人諸族は中心となる核を失い、これが倭の大乱という事態を招いた。 それは教科書どおりである。しかもそれが、倭人のみならず、燕の遺民や秦人、高句麗や百済、新羅といった利権関係者の介入をも招いたと思う。 列島だけでなく半島も巻き込んで、民族純化の大戦争となっていったようである。 倭人とか秦人、辰人、タイなどといっても、現実にある個々の弱小民族のことではなかったからである。それぞれが、重たい過去の帝国の残影を背負っていた。 列島には、実際には100余の落ちぶれた少数民族が集まっていたのである。 生き残るために死にもの狂いで相互に戦う、出口の見えない皆殺し大戦争となってしまっていた。この地域には、温和な農耕民族だけでなく、食い詰めた暴力団が多かったようである。海賊や馬賊が、うじゃうじゃ溜まって居たのである。 民族純化の戦争というものは悲惨である。やめたくても、やめられない。やめたものから順に、よってたかって皆殺しに会う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年09月02日 12時27分25秒
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