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これは歴史紹介ではなくて、未だ描けていない小説の種である。つまり自己都合の空想の領域が大きい。しかしそれは、ある連中を意図的に追い、理由を尋ねていて、そうなったのである。
1 漢字で阿育、あるいは天愛喜美とも記されることがあるこの王は、私どもが高校生の頃マウルヤ(孔雀)王朝のアショカ王として学んだ王のことである。 古代インド世界に君臨した大王のことである。インドという呼称は欧米のもので、正しくはバーラタという、栄光の種族名で国土を表現するのが常識らしい。 この王は、名実共にバーラタの大王だった。 アソカの樹木とも、憂いが無いというアソーカという言葉とも同一視され、無憂王とも記される。 今日のインドでも、アソーカとかアショクさんとかいう名前はありふれて居るようであるが、もとの正しい名前の発音も意味もわからないというのが、正解かも知れない。 しかしこの大王の業績は、自己宣伝ではあるが、断崖に刻まれた法勅や業績碑文などから、かなりわかっている。全くわからないのは、生い立ちや即位するまでの状況なのである。 特に仏教を戴く民として、この大王に負うところは大きい。大王がいなければ、今日の大乗仏教の繁栄はありえなかっただろう。実は間にもう一人、キジ国という小さな国の王子がいなかったらという問題もあるのだが、出発地点はバーラタである。わが国の仏教は、ほとんど全滅だということである。 そしてそれだけでは終わらないかも知れない。 今日の私どもが存在しない可能性もある。 仏典を結集し、教団を国庫で支援したのみならず、他国への、その伝道に対しても王朝の総力を挙げて支援した様子がある。但しそれが嵩じてかどうかはわからないが、発祥の地インドでの仏教は、仏教本来の姿である小乗の方も含め、ほとんど絶えた。今は細々と他国から入った伝道者が活動しているだけらしい。 それにも理由があるはずなのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年10月02日 12時13分51秒
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