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この時代、グレコバクトリア(ギリシャ人のバクトリア)と呼ばれるザリアスパは、今日のアフガニスタンから想像も出来ない文化国家である。
過去にはイギリスと戦い、さらに最近はソ連と戦ってこれを破壊し、次は米国に攻め込まれて絶望的な戦力差の中で英雄的な抵抗を続ける、今日の疲弊したアフガニスタンからは想像できないほどの強力な力を蓄えていた。 1千の都市を支配する、文字通り超大国だったのである。 その太守もまた、文化国家アラコシアに子弟を学ばせ、強大化する一方の隣国マガダと良好な関係を築くのに腐心していたのではないだろうか。 彼らもまた、意図して天愛喜美とは良好な関係を築くのみならず、その権力伸張の後押しもしただろうと、予想できることである。 暴虐の噂はウソではなかったかも知れないが、天愛喜美には人々が後押しを考える何かがあったのだということである。特にサカ族や海の民は、後の関係を見ても、意図して彼を積極的に支援したのだろう。それには天愛喜美が魅力的であっただけではない。たぶん、別の理由があったのである。 これは憶測に過ぎないが、その後ソグドへ人質に出されたザリアスパのデオドトスは、やはりアラコシアのマハーラッキタの学園で、天愛喜美とともに学んでいたのかも知れないのである。彼は後にザリアスパの太守となる人物である。 そしてそれだけではなく、この人物が、後の世の私どもの先祖とも、実は直接に関係する人物であった可能性がある。 マハー・ラッキタは、彼と姻戚関係にあったらしいのである。 そんな個人個人のしがらみや血筋の問題だけが状況証拠ではない。 その後の仏教の伝播と時期を同じくし、同時期に起こる中国とインド二つの帝国の斬新な諸制度も、実に似通っているのである。こんなことは偶然では起こりえない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年10月13日 12時06分40秒
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