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2010年02月02日
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カテゴリ:哲学研究室
論理的には自己撞着に陥るこの論理の円環へと踏み込み、論議の場を準備すること。
 それは亀裂である自己を意識することでもある。
 無知の智を悟り、弁証される事柄に耳を澄ますことである。
 歴史とは何であるかと問うことは、かくのごとき庭に直面し、その有様を問うことである。
 具体的なイデーの輝きを捜し求め、鮮烈なビジョンの誘惑に身をさらすこととではないのである。

 ヒストーリエという歴史は、確かに鮮烈なビジョンを持つ。真実の歴史が語りかけるように感じるものでなければならないという命題があるからである。
 しかしゲシヒテという存在論的歴史が語るのは、薄暗い庭の世界の史観である。ヒストーリエを支える、頼りなげで幽玄な時空である。

 そしてヒストーリエであれゲシヒテであれ、歴史には、かならずその庭がある。
 必ずしも囲い込まれた領域であるとは限らない。未知の領野に投企された荒々しいモノであることもある。
 しかしこの庭について語れるようになれば、歴史という立て枠工事が具体的に見えてくるはずである。そこで扱われている材料を見、組み上げられている構想の有様が見えてくれば、暗い庭に置かれた諸々のモノが、つまり現象が、見えてくるはずである。

 史観というのは、その立て組みされた構想を、再度受取り直すことを言う。
 経済というモノの立て組みを捉え、それを反復して見るということが出来るようになれば、それは経済学が立ったという事である。但し、唯物史観の伴わない経済学というのは暗闇に漕ぎ出す西洋式のボートにすぎないということである。その先にどんな荒波が待ち受けているのかも知る由が無い。
 そしてこの唯物史観をマルクス主義と捉えてしまったら、見えない海に投企された立て組みの歯車と化すということであろう。
 立て組みの別名は自動機械。主体とか労働とか言う言葉が好きなロボットのことである。マルクスがそんな卑小な機械存在であったとは思えない。





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最終更新日  2010年02月02日 18時59分13秒
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