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2010年04月26日
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カテゴリ:哲学研究室
 純粋直観の中に見ているモノは、単に、こころのモノだ、というのが小生の意見である。時間として方枠化され、見出された過去のモノだと。
 そして同時に、米国のコンピューター産業の旗手たちも、同じ意見であるように思える。プラグマチストである彼らは、データーベース構築の構想の中で、クラスという万能の言葉を見出した。
 言わば、こころの振舞いを形成する万能の方枠である。
 純粋直観が出会っているそれは、こころの庭と、つまりクラス定義構造体の振舞いと出会っているのである。

 サイバネチクス論者なら、ここに神の存在を主張してもおかしくないほどに洗練されたクラスの庭が在ることに、疑問の余地はないと思うだろう。仲介者そのもので、なおかつこころも対象をも形成する、あらゆるデータの基礎を再構築できる素材が、ここにあるからである。
 しかしそれは、実は時間とモノの関係を、過去に落ちたモノとして見ずに、未来に空想して見ているに過ぎないと、小生は考える。庭の型枠をe-dinという理想にして見て、その庭を見ていないからである。

 理想の私や、理想のこころを述べることはできても、本当の私自信や、自己実現は永遠に不可能だということである。カント先生の言うとおり、モノ自体も、観ることは出来ない。そんなものはもともと、無いのだから。
 あるのは時間と、それが造り上げた仮のモノだけである。

 純粋直観は、確かにこころの庭と出会っているのだが、その向きが時間の流れの向きではないのだ、と思う。
 時間は未来から過去へと流れ落ちる。
 逆らって見ている。だからまぶしくてモノが見えない。仮想のイデーの導きを空想してみている。
 これは美人局なのである。その先にはニヒリスムスが口を開けて待っている。






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最終更新日  2010年04月26日 12時46分59秒
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