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2010年06月07日
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カテゴリ:哲学研究室
 これを感情が呼覚まされたのであるという人が多い。パッセージに引きずられてという表現をする。旋律音の間を音符群が行き来しして、それが感情と重なるのだと思われているようである。
 音楽は一般に感情を導き出す音の旋律、その変容だと考えられている。
 しかしそれは感情にもアイデンチチイの白黒をつけないと気がすまない、欧米人の誤解だと思う。いわば言語構造にウラ打ちされてしまう類の誤解である。
 音楽に直面したとき、人は喜怒哀楽の感情に出会っているのではなくて、感情を形成するモノと同じ、モノのクラスに、時間変容の方枠とそのインスタンス工事に出会っているのである。

 これを構想力と出会っていると、言ってよいと思う。
 音の変容によって剥きだされた自分のこころが、人間的な感情を流露させるのではない。ちょっと注意すればわかることである。喜怒哀楽の感情は、そこにはない。
 音に耳を澄ますことで自己という分裂が明白となり、その分裂に形成されているクラス形成の力が、マーラーという名の天才を反復しているのである。感動はそこから跡付けされてやって来る後のものである。
 その時、天才は共有される。聞く者も、偉大な音楽家の持っていた天才を共有するのである。

 この天才という言葉を誤解している人が多いので、注意しておきたい。
 これは構想力の別名であって、カント風に言えば、純粋悟性概念の図式のことである。 マーラーというアイデンチチイを持つ人物の偉大な生涯といった意味ではない。
 ちなみにマーラーは精神病患者ではないが自己の分裂感にさいなまれ続けていた気の毒な人物のようで、藪医者で有名な精神分析医フロイトのもとに通い続けていたらしい。

 しかしゆるやかな最初のフレーズを辿るだけで、マーラーのこの音楽が、稀有な天才の産物であることを、言語を超えて誰もが自己体験するだろう。
 それは極端な嫌悪感か賛同感で迎えられ、あるいは拒絶される。マーラーの場合は特に顕著である。
 よく述べられるが、陶酔感ではないと思う。むしろ覚せい剤のように働く。これは習慣性のある典型的な音楽なのである。






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最終更新日  2010年06月07日 17時42分19秒
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