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2010年06月18日
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カテゴリ:哲学研究室
 だから、音楽は楽しい。
 エデンの庭がそこで招き、不滅のアイドルが微笑むから、ではない。
 自分のこころが不安な領域に投げ出され、捌かれたモノが庭を構成し、時間というモノの意味をかいま見させるからである。具体的な時間とともにあるから、である。
 それは出現して輝き、やがて音を失って暗みへと落ちる。無の彼方から突然に出現する音のくり返しが、この時間というモノを支えているのである。

 それはビジョンを、空想を産む。
 これを、ビジョンがうまれるから、楽しいのだと錯覚してしまうことが多いようだ。小生も過去に、そう考えていた。
 共有された天才である構想力は、反省され、想起される。すでにない失われた時を求めてである。具体的にはそこにすでにない音楽という、時間の庭を尋ねてである。
 しかしよく注意していただきたい。音楽は頭の中で鳴っている。その鳴っているのはマーラーの音楽である。マーラーの音楽という庭を訪ねての空想が鳴いているのではない。ビジョンとは関係ないということである。アイデンチチイを持つ私が、想像しているのではない、ということである。

 ビジョンというのは、ホルストの音楽に惑星の運行を描いたり、ドボルザークの音楽に新大陸の変容を期待するような物事を言う。音楽の場では実に難しい。
 マーラーの音楽にも、ボヘミヤの自然風物や人間関係を指摘する人々が居る。
 だが、それらは音楽紹介のテレビ番組にはなっても、音楽そのものとは何の関係もないのだろう。音楽に、生起する歴史はあるかもしれない。しかし風土の風物はおろか思想や政治や宗教は、一切無関係であると思う。
 厳かに聞えるので、宗教音楽に使われたり、あるいは個々人の貧者のこころを開くので、宗教や政治が利用することはあっても、音楽に、その要素があるわけではない。

 音楽の楽しさは、価値観や世界像の楽しさとは無縁である。
 それは天才を共有し、庭園を描く構想の反復の楽しさであって、価値観や世界像、宗教などとは一切無縁なのである。





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最終更新日  2010年06月18日 06時18分28秒
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