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カテゴリ:哲学研究室
現実はバーチャルである。
私の持つ対象への現実認識、そのことがすでに主意識(対象として得られる認識)と副次意識(その認識を自覚している自己意識)に分裂し、しかも全てが一期一会である。 現実は個々の経験の積み重ねではないし、数でもないのである。ましてや数学ではない。論理や数学だと思っている人は結構多いようだが。繰り返し可能な経験ではない。一度出会えば終わりの、一回限りの会合にすぎない。 私どもは時間を未来へは遡れない。過去へと、ひたすら落ちるだけである。 現実はもともと、私といういいかげんな分裂人間が認識している、[アナログなモノがもたらしている憂慮]、なのである。デジタルな数という空想のモノで出来た自動機械でインスタンス可能とした世界ではない。 数学絶対信仰と論理学絶対信仰が、今の物理学の底辺にあるように思う。実はサボタージュの哲学に「ある」のであるが。 しかしアリストテレスも、対象的自然の基礎にエイドス・エネルゲイアを据えたではないか。 そうだろうか? エイドス・エネルゲイアは物理的対象ではない。哲学を導いてくれる、アルケーにすぎない。このアルケーを原理とか根拠理論と考えるのは誤りである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年07月31日 19時30分34秒
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