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2011年03月22日
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カテゴリ:哲学研究室
 仁義道徳という古い中国語を持ってくれば、日本語の道徳が語れると考えるのは誤りなのである。西洋哲学で日本の伝統を語ろうとしているような、無謀な挑戦と同じだと思う。
 但し、日本語の徳はともかく、中国導入の徳や道徳という意味は変節しながらも日本語に伝わっており、人のこころとは違う、むしろ人々という公共のこころに関わってくる未知の畏怖すべき力への道しるべとして、道徳が示されているのである。

 但し日本では、その力は隠れている。敗北した神の運命が、そこには隠れている。
 道徳は具体的な道の教えとして規範化して語られるが、実質の力は隠れたままなのである。この実質の隠れた神の力を読み取れない人が、道徳は規範だ、といったような言い方をする。そう考えないと、道徳を対象化できないのである。
 これは実は、ロゴスの力はカテゴリー(範疇)構築にあり、その力の源はカタログ化だ、と言っているようなものである。対象的合目的な思惟、つまり科学技術的な考え方なのである。
 この論述を始めるにあたって、承前として、カテゴリーやロゴスを採り上げた理由に思い当たっていただけるだろうか。

 人間社会の公共性を対象に選び、カテゴリーに無理やり当てはめてクラス化し、そこに社会規範の実在を見出そうとする。そんな考え方が、倫理ー道徳という学問分野を考え出した人の頭にあったのだと思う。
 これは気がつかないかも知れないが、実は人間社会の公共性からの、哲学の追放である。
アリストテレスであっても、カントやヘーゲルであっても、哲学者であれば断じて容認しない道であると思う。しかし、それが、わが国では高校の教科書になってしまっている。
 仁義道徳に反した教科が出来上がってしまっているのだ。





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最終更新日  2011年03月22日 17時37分33秒
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