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2011年04月13日
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カテゴリ:哲学研究室
 近代美術のすばらしい成果をけなすのか。
 そうではない。

 美は対象の中にのみ見出せる時間的なナニカである。岡倉天心を先頭に、そうそうたる巨人たちが美しき絵を完成させていった、そのエンターテイメントとしての成果を貶めるつもりは無い。
 問題は、彼らが広めた「美という概念」に、あるのである。それは独自の時間を持たず、空虚だからである。
 芸術家なる人々が更なる美の哲学を次々と主張し、この空虚を増大させて、結果的に哲学を貶めていった。

 美という空虚なカテゴリーは、実在しない。その時間的なクラス(方枠)にはアルケー(始原)が無いからである。

 アイデンチチイを立てることにより、対象化のうちに見出され反省される反ロゴス的なナニカにすぎないのに、これをカテゴリー的なモノと、つまり実体が関与する実在と考えていたのでは、実在をあんよ紐にする哲学が空虚な観念論に落ち込むしかない。
 美は実在ではなくて、人の感性がもたらす個々人の価値評価にすぎない。だのに、それを公共のモノとして、あたかも時間のように語るからである。
 黄金分割などの公式を盾に、自然界にも美は実在するといったことを、まことしやかに言う人がある。
 しかしその、”あんた”の時間が、美しいと思うコトをやめたら、美は何処にもないのである。黄金分割の公式など、美しくもなんともない。つまり、観念論なのである。

 コンセプトという言葉にあるような仲介や媒介の概念と、時間潰しのリングを使ってエンターテイメントが目論まれているだけであって、美という概念は実在しない。
 美しき人はおり、美しい絵はある。シンメトリイや黄金分割の数学的公式はある。実在ではなくて、実体でもない。人の認識の別種の形式として、ある。
 人の認識の領野には暗い庭があるだけで、しかし純粋な美そのものなどは、人々の観念(イデー)以外には、何処にもない。
 そしてイデーは、イデアではない。





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最終更新日  2011年04月13日 07時14分47秒
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