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カテゴリ:哲学研究室
「問題なのは、資本主義的生産の自然諸法則そのものであり、鉄の必然性をもって作用し、自己を貫徹するこれらの傾向である。」と、彼は述べる。
つまり、経済学という、見えない形而上学自体に異議を唱えているのである。自己を貫徹する自然諸法則なるものの把握より、フィシカの方が、見えている矛盾が大切なんです、と。 ここでちょっと脱線して、ついでに経済学の裏事情を、その基礎定義から覗いてみようと思う。実は小生、経済学は一般教養でもロクに学んでいないと思う。忘れてしまっているのかも知れないが。ウイキの覗き見なので、これが現代の定義だとは思わないように。これは誰かの書いた定義にすぎない。 <1:アダムスミスの国富論 経済学は人々に益を齎すようにする方法であり、結果として人々と統治者を豊かにする手立てである。と述べている。> 要するに経済学とは、儲ける技術の研究模索だと。 実に明快で、よろしいではないか。これ以上の定義が必要なのだろうか。 <2:エンゲルス 経済学は、最も広い意味では、人間社会における物質的な生活資料の生産と交換とを支配する諸法則についての科学である。> 目的を隠した偽科学、形而上学の主張が、ここに歴然とある。 彼はマルクスとともに語られることが多いが、これは反マルクス思想だと言っていいと思う。最も狭い意味で、生産と交換とを支配する諸法則を体系化しようとする科学技術であると述べるなら許せるが、この定義はダメである。科学技術の意味を履き違えている。 科学技術が、対象の物質を操作する技術であると同時に、人の倫理や道徳をも形成していく、こころの技術でもあることは確かである。だが、人間は、その社会的な企画ー立て組の中で自由に考える獣でもある。自然の諸法則に支配されるだけの生き物ではない。鉄の必然性をもって作用されても、無謀な革命を起こす。 <3:ライオネル・ロビンズ 他の用途を持つ希少性ある経済資源と目的について人間の行動を研究する科学が、経済学である。> こちらはもっと遠大に、目的を隠した形而上学の企画に見える。要は人間工学をやって、社会システムや儲け話の全体像を構築し、儲けの技術工学体系に取り込もうというわけである。科学技術の本性を読み取って、人間の目的までもが、その研究課題に入っている。完璧に、形而上学の主張なのである。 先読みして儲け話に取り込もうというのであればわかるが、儲け話が出てこないというのが、まるで無知を見せない哲学のようにイカガワシイ。 要は、儲けの技術研究企画開発が、経済学なのである。 それが結果的に精神活動を行う人間社会全般を対象に投資企画され、集団や個々の人間の行動を研究把握する技術にまで発展し、効率的な資本投下と回収配分を目論む、壮大な形而上学にまで成長しているだけである。 但し図体がでかすぎて、しかも目的が優先して、常に建前の基礎をおろそかにするので、現代の経済社会の中では十全に機能していない。経済がグローバル化しているのでという言い訳をするが、実際には逆である。形而上学が肥え太りすぎているのである。 仲介者として、全くの架空なカネというモノを提示して儲けを計ろうとするので、そのカネの定義を有効需要だとか、無効だとか、ややこしいことこの上も無い。 個々の儲けの企画開発や実践には大いに役立っているから繁栄して、なおも肥え太りつつあるのであるが、基礎の経済自体を全く把握できていないので、経済動向などは制御できない。 有用な電気は起こせるが、あえて想定外除外した事態では暴走を食い止められない、というわけである。 完全冷却という理想は常に見ているが、それが儲けにつながらない美人局なので、制御効果の方がサッパリなのである。 むしろ、経済学の基礎研究とは、儲けの技術研究企画開発に伴う経済の動向の歴史記述と、対象化された範囲での工学理論であるとしたほうがいいくらいなのである。 * 最近ちょくちょくあるが、曜日を1日間違えていた。もうダメだ。耄碌した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年04月24日 07時50分50秒
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