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2011年05月18日
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 われながら、とんでもない、語呂合わせである。
 裏歴史のゆえんでもあるので、大目に見ていただきたい。
 
 ともあれ彼らが武人種族のクシュであり、黄色人種のスキタイであり、そしてその輩、ともがらであることは間違いない。カラ・キ・タイの仲間。
 カラキタイは黒契丹とも書かれる、チュルク系の西遼のことである。つまり満州に居た契丹族と同じ種族である。

 これらのチュルク系種族を、常識的な知識で単に血筋の種族としてして見ていたら、クシュの裏街道は決して見えてこない、ということである。
 西洋風の純粋化していく王族や民の血筋としては、ユーラシアからアフリカまでを駆け巡る、壮大な彼らの旅は捉えられない。ツングース系だとか、いやシウシン系だとかいった、不毛の論争となる。
 そうではなくて、むしろパンクシュを持つルーガルの末裔たちとして見るべきではないのか、と主張しているのである。

 彼らは文字どおり、ユーラシア大陸をあっちからこっち、こっちからアッチらと駆け巡っている。
 その中で、険しい山岳の中に敗れて逃げ込んだ少数の者たちが比較的純粋なまま残っているので、取り出して見やすいというだけである。民族はマチマチなのである。
 チュルク族などは明らかにハッチの末裔で、たぶんウラルトウを経由して中央アジアの草原に至り、匈奴の中核部族として活躍した後、分裂してアルタイ語族となり、満州に入った。
 どこをどう通ったのかはわからないが、今は再度小アジアに帰還し、イスラム化してトルコ人となっている。
 
 契丹や西遼なども、同じ伝統をもつクシュの国なのである。
 後の満州八旗なども、八部族の栄光を担い続けていた同様の伝統のカーストたちだったと言って良いと思う。太祖ヌルハチの時代には、未だクシュの文化を伴っていた。
 但し、征服した土地の高度に発達した漢民族の文化に逆に飲み込まれ、八部族の栄光を失ったのである。
 





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最終更新日  2011年05月18日 07時51分54秒
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