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2011年07月21日
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カテゴリ:哲学研究室
 喪失の中にある者には、その喪失がわからない。
 精神主義だの美学的評価の遺産だのといった理念の伝統は、もともとわが国には無かった。
 合目的な機械システムに関する思想も同様で、それらはせいぜい、こころに編み込まれた、からくりでしか、なかった。

 すでに伝統を失った今日の私どもには、美的評価の堅固なエステチカ(感性学=美学)があるわけではなく、かといって、昔の日本の自然な様があるわけでもない。
 ビジョンとして提供される価値観を頼りに右往左往する故郷喪失者なのである。

 それはおかしい。自然の山河は太古から変わらずある。
 そういうあなたには、もはや伝統の山河が見えていないから、そこに手付かずの資源としての自然がある、というような変なことを言う。
 そもそも伝統の和文化において、自然は、自然環境などといった囲い込まれたシステム体系に構想されるといったようなことは起こらなかった。
 山ノ神、田ノ神はいても、観想の「対象となる自然」などは無かったのである。そもそも、畏怖すべき自然とか、人知で秤ることができない自然の力、などといった不可解な理念もなかった。
 
 過去に何度か自然環境という考え方のマズイ点を取上げて探ってみた試みがある。だが、最近特に伝統の喪失と、この自然という理念の考え方の相関関係が浮き上がって来た様に思う。
 特に自然学が、自然を対象とした学問ではない、というところあたりから端を発し、人文諸学、自然諸学という、現代の常識にも疑問符がいっぱい出てきた。
 故郷喪失者の理念的アーカイブの自然をひきずって、私どもが何処へ行こうとしているのかが、切実に危惧される事態であることが見えてきたと言える。

 クソ難しい哲学をクソ難しくしてしまった張本人は、案外、この自然というイデーかもしれないのである。





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最終更新日  2011年07月21日 10時45分30秒
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