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2011年07月28日
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カテゴリ:哲学研究室
 科学技術的知識や学術体系とともに、形而上学がはびこっている。
 こころの庭が(西洋人には)見えないモノであることをいいことに、この死に至る病は、見えない場所で増殖したのである。
 日本人にはあらかじめ、こころの庭が見えているのに、なぜこれを誰も危険だと認識しなかったのだろう。

 和魂洋才という思想があった。
 大和魂という見えないモノで基礎固めをし、西洋の科学技術だけ導入して利用する、という思想である。
これも実はもともと日本にあった思想ではなくて、魂という西洋人のこころの基礎を導入して利用した、付け焼刃の思想であるように思える。付け焼刃の思想が、うまく機能することは少ない。無理を押した中国の新幹線も、随所でぶっ壊れる運目にある。

 科学技術の導入は、それ(科学技術)が対で持つ、こころの庭(文化)の有様をも一変させた。
 問題意識の合目的な機械工学、というイデー(理念)の導入は、それが基礎に持つエステチカ(感性学=美学)を要求し、エセ哲学者たちが活躍して日本の美なるイデーを造り上げた。
 語学に堪能である優秀な人々が中心となり、社会規範ともなりうる図式構造の方枠をでっち上げたということである。
 そして、伝統の文化と、そのこころの庭との接点が覆い隠されて、見えなくなってしまったのである。
 「自然は、認識の対象物ではない。」そんな単純なことが見失われてしまったのである。

 伝統の里山を思い出すのに、管理された豊かな恵みをもたらす森、雨を吸収して洪水を防ぐ森、生のままの自然(の機械的営み)を護る、こころの美学を語るようになってしまった。
 私どもは自然、という対象物(形而上学的理念)を構築してしまったのである。
 これはクソ難しい哲学がそうしたのではない。エセ哲学を導入した人々の社会的一般常識が、そのクソ難しいシロモノ、代物を造り上げてしまっているのである。






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最終更新日  2011年07月28日 13時23分25秒
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