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見えてきた裏歴史の仮説は、統一新羅を形成した金春秋系の王族が脱皮したのが日本であり、辰王を持つ倭人、つまり統一イスラエルとは別系統の、どちらかといえば騎馬民族系の山幸彦だと告げている。
扶余族と近似の、高句麗に近い、しかも任那系の種族であると。 金春秋の母は第26代真平王の長女であるとされた天明姫(チョンミョン姫。後に文貞太后と追封)。後の善徳女王の妹にあたる。 父は第25代真智王の子の金龍春(龍樹とも記される。後に文興葛文王と追封)。旧唐書、新唐書、には金春秋が真徳女王の弟と記されているが、三国史記新羅本紀・太宗武烈王紀の分注では、これを誤りと指摘しているという。 下級王族ではあったが、倭の王権とは常に争ってきた、根っからの新羅王族である。そしてこのガチガチの新羅王族とその一門こそが、遠い過去に高天原をさすらい出た美馬那日本府の主であり、そして皇室の直系の先祖だと思う。 百済と倭の、ほとんど一心同体のような関係がだんだんとわかってきて、不審がりながらも、韓国や日本の研究者たちも、百済と日本の断ち切りがたい関係を語り始めてきた。両者は実は同じ者であると。 平成天皇ですら、韓国訪問のさいに、百済と日本の血縁関係を採り上げられた。百済武寧王の血筋は、桓武天皇の母の血筋となったのであると。 しかし、もっと決定的かつ衝撃の事実がある。 桓武天皇の父白壁王(のちの光仁天皇)は、天智天皇の第7皇子・施基親王(志貴皇子)の第6子なのである。金多遂の子孫ではない。 キム・ユシンの一門は半島では権勢者として生き残ったとしても、列島では殺されたはずなので、たぶん金春秋直系の、ガチガチの新羅の王族だ、ということである。 天皇家には意図的に姓が無くなっているからピンとこない。だが当時の日本人の中核は、倭人ではなくて新羅人なのである。 わずか1300年の時代の移り変わりが、統一新羅と日本の関係さえも見えなくさせてしまった。 海峡を隔てるだけで、同じ種族、同じ国であったものが、敵愾心を燃やすほどになってしまってさえいる。日韓併合の時にも、無知が災いし、新羅が列島を制圧した時の様な、読みの深い天命の通知ではなくて、浅知恵の理不尽な暴力が横行した。 そしてその結果、今や文字も、言葉も、全く通じなくなってしまった。 異民族の中国人とは今でも筆談で、そこそこの意思疎通は誰でもできる。小生も某窓口で数年間やってきた。簡体字も、なんとか読めるし、学の無い向こうの人も、こちらの書く怪しげな当用漢字をなんとか理解してくれる。庶民どうしの低レベルでのやりとりができる、ということである。 しかし韓国人とは、意思疎通の手段はカタコトの英語に頼るしかないのである。 この傾向も、しかし韓流ドラマや映画の流行で変わりつつある。 ドラマに出てくるキム・ユシンや善徳女王の背後に居る大勢の郎徒兵士(ナンド)が、どことなく異国の物語を感じさせないひたむきさで登場する。 彼らは列島の倭人ではない。だが、当時の半島の新羅人、つまり、生粋の日本人なのである。 了 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年08月17日 07時58分58秒
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