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カテゴリ:哲学研究室
特許問題は、この経済を見誤って政治をしていることの典型だと思われる。
パテントはもともとラテン語のパテンテスに由来し、これは政治的に公開する、ということである。 商工業を独占する特権や、発明の経済利用を排他的に実施する「特権の政治的公開」である。当の技術発明品を隅々まで一般に公開するという意味ではない。明文化したものはベネチアの1474年の特許法に始まると言われる。 人々の公共の利益を護るための公開ではなく、それに関わるな、学ぶな、知るな、という搾取特権の政治主張の公開なのである。経国済民ではなくて、特権階級による庶民への警告催眠なのである。普通はこれを誤魔化して逆に、発明の内容の公開だと言う。 当局の述べた屁理屈の方が大手を振るっていて、常識ではそちらが正解となるので注意されたい。 ともあれ、この制度が生きている限り、類似の権利主張は次々と起きてくる。 そうしないと、それにいち早く関わり、学び、知った者に利用されて、逆に搾取され尽くすことになりかねないからである。クレヨンしんちゃんの出版元は、進出予定の外国に商標出願しておかなかったことが、まるでチョンボであったかのように言われることと成る。 また、ひこにゃん係争に見られるように、原作者から切り離されて搾取特権が扱われてしまうと、係争のネタは際限なく続く。 実は、この問題は、近未来に危機的状況を迎えることになるだろうと予言できる。 すでにコピー問題は、いろんな姿に広がりを見せている。ブランドコピーなどというのは問題でも何でもなくて、だまされて粗悪品を買う人の方が悪いだけであるが、ユニークな原本などというモノが主張され続けるかぎり、問題は深刻化する一方であると思う。 原本というのは「もとの写し」という正しい意味である。 だが、もとのユニークなモノ自体があるかのように思い込んでいる今の世間常識では、すでに対処できなくなっている古語でもある。この錯誤が、さらに深刻化する係争事態を招くということである。 モノの方枠という諸々のクラスはあるが、モノはインスタンスされて初めてモノとなる。そのもとのモノなどは、対象を認識する主体がわに理念としてあるだけで、公共的には何処にも無いからである。 モノ自体などは、金輪際、無いからである。純粋な素材というモノも、自然にあるのではなくて人が加工しインスタンスして作り出した経済のモノである。 さらに人のDNA遺伝子情報が完璧に解析され、それを操作する技術などが特許化される。 そうなれば、特許を得た者が、大勢の人の生殺権まで握ることになるわけである。致死遺伝子なども見つかっており、これを操作して寿命を延ばしたりちじめたりも出来るらしい。 恐怖の時代の幕開けである。 iPS細胞などの画期的な発明発見は、すでに政治問題化している。日本人のノーベル賞が阻止されたのも、人種的偏見の問題だけではない。米国は、十分すぎるこの価値を見抜いており、道理を捻じ曲げてでも、他国に利権を与えることは絶対にないだろう。 *秋ウコン お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年10月04日 07時19分44秒
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